黙談が提示する「枠のないパズル」は、かつてあったか?
黙談.iconでは、パズルボードを使わないタイプのミッションを多数収録しました。 ラジオでも、4つ中1つのミッションは、パズルボードを使わないタイプのミッションを遊んでいただきました。 ジグソーパズルを筆頭に、パズルというものには枠が存在することが基本だと思います。
ポリオミノパズルも、例えば「ペントミノをどのように四角形に収めるか?」など四角形という枠組みが存在します。 テトリスも、横一列で消すために、左端から右端までの枠が存在します。 枠のないパズルも世の中には存在するのかもしれませんが、あまり思い当たりません。
特に、「正解がある」にもかかわらず、「枠がない」パズルが黙談です。
「正解がない」枠なしパズルと呼べそうなゲームは、多くのタイル配置ゲームが該当するかもしれません。例えば:
カルカソンヌ
カスカディア
なお、黙談のように、「正解がある」かつ「枠がない」ゲームは、調べたところ以下のような伝統玩具的なものが存在するようではあります。
Tantrix
Knot Dice
それは一緒に遊ぶ相手がいるからだと思います。
黙談は、パズルの枠組みを一緒に協力して創造する遊びなのかもしれません。 1人で淡々と黙談を解いても、コミュケーション的な面白さは得られない。
しかも「会話あり」だと、しこりのようなものが時々起こってしまう。
つまり、会話禁止、ジェスチャーも合図も禁止、というルールが、黙談には設定されました。
まだ私たちも言語しきれていない領域です。
また何か思い至ることがあれば、続きを書きたいと思います。
黙談が実現した面白さの正体は何だろうか?
通常のパズルに存在する枠は、いわば「正解」
この正解にピタリとピースを置く遊び。
黙談は、この枠という名の「正解」をみんなで探す遊びだと言えると思います。
ああでもない、こうでもないと、チームメンバー全員で協力して、未踏の地を冒険するかのような感覚を楽しめるゲームが黙談。
パズルが元来もつ「正解」を、自分たちで好き勝手に決めて構わないというその自由さと喜びが、黙談の面白さの正体。
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