意思の伝達や受信は言語の方が早いのか?
黙談.iconを遊んでいてたまに思うこと
声を出せない環境なのに、相手の「これが欲しいんだろうな〜」がどうしてわかってしまうのだろう?
素朴に不思議だなあと感じる
あと、声や言葉を使うよりも、意図や願いの伝達が実は早いんじゃないか?という気も。
重ゲのプレイ中に、相手プレイヤーの一手から、その人らしさがふと感じられるような瞬間にも、ここで書いている早さに近いものを感じる。 日常でももしかすると言葉なんてない方が、伝達と受信が実は効率的だったりする場面もあるのではなかろうか。
あるいは、言語という記号が、木製ピースとその渡し方へと単に変化しただけとも言えそう。こう解釈するならば、
あと早いか遅いか軸は傍に置いて、
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言葉は物事を「分けて繋げる」が、それはあくまでも言葉という仮想においてそうしているに過ぎない。人の世界は、分節と構築によって成り立つが、その一切が仮想である。
この世界のあらわれを、仮想を超えたリアリティとして感受している度合いに応じて、その人は言葉のもたらす迷妄から免れている。
言葉のもつ毒性とは、言葉によって分節ー構築される人の世界を、「実体」だと信じ込んでしまうところに由来する。
言葉を薬として使う人は、言葉がそれ自体として実体を生む力はなく、いつも自然というリアリティとの二重写しにおいてしか作動しないということを、よく把握している。
換言すれば、意識は無意識との二重写しにおいてしか作動しないし、生は死の二重写しにおいてしか作動しない。