対話の技法
対話を行うのは相手になにかを伝えるため、と考えていませんか。私は正直、それは本来の対話ではないと考えています。自分で言いたいことがあって、それを相手に知ってもらいたい、納得させたいと思っているとしたら、それは基本的には一方向的であり、伝達であっても、双方向的な対話とは言えません。 対話が技法として成立するための「問い」とは、そのような基本のかたちを持ちます。「いいえ」という反対表示は、問答においてとても大切な場面です。なんにでも同意するのではなく、自分が感じる違和感や異論をはっきりと示すことで、対話の考察は前進する 優れた問い手が的確な問いを発し、問いと答えをつなげながら一つの議論にしていく能力こそ、問答の遂行に必要です。優れた問い手は自分で結論を持っている必要がありませんし、主題について知識がある必要もありません
対話は、その主題についてある程度は分かっていると思っていた対話者の思い込みを、思いがけないかたちで破壊します。それが対話の最大の効果なのです。対話の成果は結論や合意や知識をもたらすというより、思い込みを壊して私たちを無にするという、破壊的なもの 言葉の豊かさが感情の豊かさと連動すること、反対に、言葉が貧困になると感情をコントロールできなくなることです。 語彙 やニュアンスが貧しいと、自然と語句や語気が強くなります。つまり、自分の言いたいことを丁寧に発信できないと、言葉以外の部分で相手に圧力をかけざるを得なくなります。まさか腕力で威嚇するわけにはいきませんので、強硬で荒っぽい言葉を使う 今の自分を守りたい、これまで積み上げてきたものを保持したいというのは、社会的人間にとって自然な感情です。しかし、対話はその基盤を揺るがし、場合によっては覆してしまいかねない哲学的行為です 対話は日常の会話や普段の会議とは違います。改めて対話を行うという場合、どうしてもそれら日常生活や特定の目的と切り離す必要があります。あえて解放されて自由な場に身をおくことで、一人の人間同士が向き合って対話を始められる