会計の世界史
中世のころ、キリスト教は商人が「利息」をとることを禁じていたのです。 中世キリスト教が利息を禁止していたのは、「時間は神のもの」だったからです。時は神の所有物だから、そこから生じる「利息」もまた神のもの。よってこれを商人とることまかりならぬ、これが当時の常識でした。
しかし現実の問題として、商人側の「貸りたい」ニーズは確実に存在します。
「ヴェニスの商人」のアントーニオはユダヤのシャイロックから金を借りました。 キリスト教の「利息の禁止」は異教徒には適用されないため、ユダヤ教徒は金貸しをすることができました。というより、金を貸す融資は卑しい仕事としてユダヤ人に押しつけられていたのです。利息には「ウズーラ」の名が付されていました。 コジモの時代、メディチ銀行はその卓越した経営センスによって先行バンコを次々と追い抜き、トップ・バンコの座につきました。 顧客からみた、メディチ銀行と付き合うメリットのひとつが「ネットワークの広さ」です。メディチ銀行はイタリアだけでなく、ロンドン、ブリュージュ、リヨン、バルセロナ、ジュネーブなどヨーロッパ各地の"要所"に拠点を設けました。商人たちはこの支店ネットワークを活用してキャッシュレス取引を行うことができたわけです。
さて一方、ネットワークを拡大するメディチ銀行側には、支店管理という問題が生じます。
電話やインターネットどころか文書ですら通言するのが難しい環境で、どうやって遠隔地の支店を管理するのか?この管理手法を確立できないとネットワークを拡大することができません。
ここでメディチは、各拠点の管理方法について独創的な手法を考案しました。それは本部に権限を「集中化」するのではなく、できるだけ「分権化」しようという試みです。
銀行の拠点はいまでも「支店」と呼ばれますが、メディチ銀行ではその枠組みには収まらない「独立組織」であり、支店の支配人にはかなりの経営権限が委護されました。フィレンツェ本部は、支店経営や与信管理にはほとんどかかわらず、「支店新設の判断」など大きな問題に専念していたようです。
支店にはフィレンツェのメディチ本部が出資するだけでなく、支配人も出資を行いました。つまり支配人は支店の共同出資者でもあったのです。
マッキンゼーが管理会計講座を立ち上げてから、経営者が学ぶべき会計の内容が「2本立て」になりました。鉄道の本線に対して、新たに支線が追加されたように、財務会計に対して管理会計が登場してきたのです。「過去」の実績を計算するだけだった財務会計は、とうとう「将来」利益をシミュレーションするまでに進化しました。
「守りの会計」が財務会計です。そこでは株主と債権者に対し、決算書を作成報告することで説明責任が果たされます。
もうひとつは、原価計算から進化した「攻めの会計」=管理会計です。それは経営問題を解決するために経営者が自由に組み立てる会計です。
この「守りの会計=財務会計」は号機にたとえるなら赤色のレッド・アカウンティングです。やるべきことをやらないと赤号が点灯する義務の会計です。
一方で「攻めの会計ll管理会計」は青色のブルー・アカウンティング、自由に設計していい会計です。
マッキンゼーの予算管理は初期の管理会計にとって、重要な「型」を提供しました。
それは「計画」重視の姿勢です。
予算の本質は未来の数字計画=数字シミュレーションです。そこでは従来の会計が扱わなかった「未来」の数字が取り込まれています。
このためにはコストを変動費と固定費に分け、売上に比例する「限界利益(MarginalProfit)」を明らかにします。そうすれば「限界利益=固定費となる損益分岐点売上は 〇〇ドル」とか、「営業利益が•ドル欲しいなら、逆算して売上は〇〇ドル必要」といったシミュレーションが可能になります。
この一連の「型」はここから100年にわたって世の中の管理会計”スタンダード"になりました。
偶然にも同じ時期、同じシカゴに生まれたジャズと管理会計はどちらも「アドリブ重視」という特徴があります。最低限、基本の「型」さえ守ればあとは自由ーシカゴの経営者や学生は昼間に管理会計を学び、夜はスピーク・イージーでジャズを楽しんだといわれています