エスノフューチャリズム
民族未来主義
エスノ・フューチャリズム(Ethno-Futurism)とは、土着的・先史的を意味する「エスノ」と、先進的な未来主義を意味する「フューチャリズム」を掛け合わせた言葉。文化史における過渡期に、グローバル化を背景として、人々が自らの文化的なルーツに取り組む過程であると考えられている。 具体的には、1990年代に崩壊したソビエト社会主義共和国連邦(旧ソ連)で起きた、国際的な芸術運動がその代表だ。日本語では、「民族未来主義」とも呼ばれる。以降、エスノ・フューチャリズムのことを民族未来主義と述べることとする。
民族未来主義が登場した当時、旧ソ連では、非ロシア諸民族を同化(=非ロシア語教育の制限およびロシア語教育の導入、キリル文字の強制、宗教の弾圧など)する公的政策が進められていた。
再領土化ということに関して言うと、エスノフューチャリズムというものが今いろいろなところで言われるようになりましたよね。「エスノフューチャリズムとは何か」が定義できないほどにさまざまな文脈から生まれてきているので、それぞれの固有性を見ながら語らないといけないことだとは思いますが、それをふまえたうえで敢えて暴力的にまとめてしまえば、なぜ再領土化のなかでもとりわけ「民族」をめぐる作話が注目されるのかという疑問 民族のなかに再領土化のための作話を求めていくとナショナリズムに陥りかねません。例えば(ユク・) ホイさんはどのようにナショナリズムに陥ることなく新しい歴史性や新しい時間性を開示しようとしたのか。そのなかに新反動主義を再評価する、とくに新反動主義的な未来主義を再評価するための鍵 エスノフューチャリズムというのは、そういう意味での単線的な加速主義に対する抵抗、あるいは時間線の複数化として捉えられるのだと思います。そのときにキーになるのは、恐らく単線的な加速主義のなかでは、主体化を起こすための場のようなものがすべて解体されてしまうということです。それに対して、それぞれの主体化のための特殊な場や空間性というものをエスノフューチャリズムは確保しようとする。