UBI
ユニバーサルベーシックインカムの構想
UBIは、労働と資本との間に存在する権力の非対称性を、転覆する可能性をもたらしてくれるものだという。「プロレタリアートは、生産手段および生活手段から自分たちが切り離されているということに規定されている。それゆえ、プロレタリアートは自分自身を労働市場において売りに出すことを余儀なくされ、それによって生存するのに必要な収入を得ている」( 43) という現状に対し、UBIの導入は、「仕事に頼ることなく生活の糧を得ることのできる手段を、プロレタリアートに与えてくれ」( 44) ることを通じて、就労するか否かの選択肢を労働者が持つことを可能にしてくれるのである。この結果、「労働を本当の意味で自発的なものとみなす」( 45) ことが可能となり、首を切られるかもしれないという恐怖に怯えることなく、「労働者は優位に立ち、資本はその政治的な力を失うことになるだろう」 つまり、「仕事の本質がそれがいかに利益を産むかではなく、その価値がどのようなものか、ということで測られることになるだろう」( 51) ということだ。この結果、最も劣悪な仕事の賃金が上昇するとともに、そのような仕事の自動化が進むという「ポジティヴなフィードバックのループを形成する」( 52) ことになる。これにより、多くの不払いのケア労働の価値もまた、再考されることになるとともに、どのような仕事をこなすことができるかという「能力に応じた報酬ではなく、基本的なニーズに応じた報酬という形へシフトすることを」( 53) UBIは促してくれることになるだろう。ここでは、「人の価値をその人の能力で測るようなケチな尺度」( 54) を拒絶し、その代わりに「人々は端的に人々であるということによって、価値あるものとされる」 ポスト労働世界」は、次のように要約できるであろう。すなわち、UBIによって日々の生活の物質的基盤は賄われ、必要な生産は自動化されているため、労働はそもそも必要ない世界。そして、テクノロジーによって代替不可能なもののみが労働の対象となり、労働したとしてもそれは短時間ですみ、しかも労働せよという倫理的要請は存在しない世界。それは、「労働なき世界」であり、「完全なる失業」の世界である。スルニチェク/ウィリアムズは、次のように断言する。「ここで抱くべき野望は、資本主義から未来を取り戻し、我々が欲する二一世紀の世界を我々自身によって打ち立てることを目標にする、ということだ。自由を意味のある概念とするためにとりわけ重要なことは、時間と金銭が与えられねばならないということだ。左派の伝統的な要求である完全雇用は、それゆえ、完全失業の要求へと取って代わられねばならない」