Podcastの公共性
Lobsterr
散歩に行くときは、Pocket Casts(ポッドキャストアプリ)を開き、散歩のお供のエピソードを選んでから歩き始める。散歩の時にポッドキャストを聴くのは20年近く続くルーティーンでもある。ポッドキャストは昨年20周年を迎えたそうだが、そう考えると、だいぶ初期の頃からこの不思議で独特な立ち位置のメディアに触れ続けていることになる。 当時の記事を読んでみると、彼が明確に「ポッドキャスト」と命名したというよりは「これ(オンラインラジオ)を何と呼べばいいのだろう?オーディオブログ?ポッドキャスティング?ゲリラメディア?」と迷いを持ちながら、呼び名の候補の一つとして提示しているだけということがわかる。『Demandsage』によると、現在、世界には500万のポッドキャストがありエピソードの総数は7千万を超える。リスナーの数は5億人を超え、今年のグローバルのポッドキャスト産業の市場規模は、300億ドルを超えると見込まれているという。
同じ情報を摂取するにしても、テキスト経由で得た情報とポッドキャスト経由で得た情報は質的なちがいがある。ポッドキャストを聞いていると、私たちは意識せずとも、語り手のトーンやピッチから人柄を感知し、その人に親密さをおぼえる。SNSの画面をスクロールするようにコンテンツを高速に処理したりもできず、アテンションが長時間集中しがちなのも影響しているのだろう。これはポッドキャストリスナーであれば同意してくれると思うが、ポッドキャストを聴いてる時間は、知的で、穏やかでゆったりした時間を過ごしている気分になる。そして、ポッドキャストのこうした特徴が、人々の語り口、コンテンツの質、フレンドシップなど多様な分野に影響を与え始めていることが色んなメディアで示されている。 以前Lobsterrでも紹介したが、この『WIRED』の記事は、ポッドキャストを最もよく聴く国であるスウェーデンでは、ポッドキャストの影響で人々の会話の質が変わったという驚くべき事実を描写している。スウェーデン出身で、ライター・人類学者のヘンリク・カールソンは、久しぶり帰った故郷で言葉を交わしたスウェーデンの人々が、アメリカの知識層向けのインテリなインタビューポッドキャストのような口調に変化していることに驚く。カールソンは、この変化をドイツの社会学者ユルゲン・ハーバーマスが『公共圏の構造変容』(1962年)で紹介した「公共圏」というアイディアに重ねて論じる。「公共圏」とは、私生活からも国家からも切り離され、人々が自分たちの住む社会について知的な議論を交わす場所のこと。「公共圏」の例として挙げられているのが、16世紀に活躍したオランダの学者エラスムスによる手紙のネットワークだ。彼は、人生の大部分を馬に乗ってヨーロッパを横断し、魅力的な人々を訪ねては紹介し合った。こうした人たちと交わした手紙が後に出版され、朗読会などで多くの人がそれに触れるようになった。そして、その言葉を何度も聞くうちに、エラスムスの書くラテン語、読まれた手紙が知識層の中で「内面化」されていったという。その後、マスメディアが登場することでコンテンツのパッケージ、画一化が進んでしまったが、ポッドキャストは、個人の多様な語り口がダイレクトに伝わるという点で、エラスムスの手紙が起こした「知的模倣」への回帰とも見ることが出来る、と言うのがカールソンの主張だ。自分を振り返ってみても、気の合う人とは聴いているポッドキャストの趣味が似ていたり、考え事をしている時にポッドキャストで聞いた話がアイディアの糸口になっていたりと、知らず知らずのうちに内面化が進んでいると実感することが少なくない。自分の口調も少なからずよく聴くポッドキャストに影響を受けているかもしれない。 このカールソンのストーリーは、いかにポッドキャストが聞き手の内面にまで深く入り込んで影響を与えるかという点で非常に示唆深い視点を提供しているが、逆に、ポッドキャストがコンテンツ側のトーンに影響を与え始めてもいる。
ポッドキャスト20周年を受けて書かれた『The Guardian』の記事は、ポッドキャストは単に視聴者を増やしただけでなく、コメディ(ポッドキャストのもっとも人気のあるジャンルの一つだ)の内容やトーンの変化を促していることを伝えている。この記事は「このメディア(ポッドキャスト)は00年代のコメディの剣闘士的な性質から、友好的な世界へのシフトの一端を担っている」と解説している。イギリスで最も人気のあるポッドキャストのひとつ『Off Menu』のプロデューサー、ベン・ウィリアムズも、ポッドキャストがコメディの傾向を、闘争的なものから協調的なものへと変えるのに役立っていることに同意する。先述したような、親密さやゆったりとしたテンポという、ポッドキャストのメディアとしての特徴を考えると、かつてのコメディ番組に始まり、XやYouTubeでも続くような、騒がしく不快なコンテンツ体験はポッドキャストにはマッチしない。この記事ではコメディと分野における変化が強調されているが、スポーツなど他の分野でも同様に、語り手のトーンが協調的になるという変化が起きるかもしれない。 *
意外に思われるかもしれないが、ポッドキャストは友達作りのツールでもある。 岡橋さんに教えてもらった「現代人は、新しい友人をポッドキャストで手に入れる」と題された『MEL Magazine』記事は、ポッドキャストが(特に男性にとって)新たな友情を築くための有力なツールと化していることを指摘している。この記事を書いたサンディエゴ出身のライターで元ピザ職人のルーク・ウィンキーは、同じ趣味を持つロブ・カシミールと仕事を通じて知り合ったが、その流れで一回ディナーをしただけで関係が終わりそうになった。しかし、カシミールのこの一言が彼らの関係をつなげることになる。
「僕のポッドキャストに出ない?」
この記事が指摘するように、大概の場合、男性には、友情を築くための感情的な構えや精神の自由が欠けている(強く同意する)。ポッドキャストには、男性たちのそうしたスキルの欠落を埋めてくれるパワーがある。カシミールはこう語る。「"やあ、君は本当に頭が良くて面白いし、君のクリエイティブな仕事ぶりを尊敬しているよ。もし暇なら、3時間電話で話さないか?”と話しかけるのは、とても気持ち悪い。でも、同じ質問に(ポッドキャストという)タスクと目的を付け加えれば、全く問題なくなる」。 カシミールは、ポッドキャストを始めてから男友達が格段に増えたという。彼はポッドキャストにゲストを呼び、そのゲストを友達へ転換させるというパイプラインを構築し、見事に機能させている。男性は2人で話し合って親密な話をする、ということが本当に下手だ。カシミールが言う通り「男同士が気持ちよく話すには、間にキャンプファイヤーみたいなものが必要」だ。ポッドキャストはキャンプファイヤーだ。