なぜ本が読めなくなるのか
流行っている本を積読していたが、期待以上に面白かった。
まさに自分もこの2-3ヶ月ほど特に仕事が忙しく読む暇がなかった、厳密には読む暇があっても本に手が伸びなかった。そういうのをハック的な方法論ではなく、出版・本の歴史から紐解き、今の現代社会における疲労について着目して書かれているどちらかというと哲学書に近い感覚の読了感があった。新書ってもう少しハックぽい本が多いなと思っていたので、すごく良い意味で裏切られた本。
ネオリベの精神性というものは特に自分も良い面も悪い面も非常に染まっているなと改めて読みながら感じた。特に20代は自己啓発的な役に立つものを読もうという感覚が強く、そういうノイズを排除していくことが進んでいったが、今は逆にそのノイズをいかに手に入れるかを個人的には意識している。
ネオリベ的なものは個性を尊重しながらもその個性で生き抜けというのを強いられてくる。それは実存の切り売りに繋がり、そういった文脈の中でしか生活ができなくなってくる。本の中にもあるが全身全霊で働くことは簡単だとある。しかし半身で働くことを提案を本を通してされており、違う文脈を取り入れるには仕事だけ!だと取り入れられない。結果本含めて自分の好きなこと、良い意味でノイズを取り入れることができる。その余裕を持つことができるのだということを書いてある。
自分も前述したが、仕事にどうしても全身全霊をかけてしまいがちだが20代でそれをやった結果この先にあるのはつまらない人間になってしまうかもという危機感があった。コスパ・タイパを突き詰めて行った先にあるのは何なのか?何もない可能性がある。そういった意味においても仕事をサボれっていうわけではないが、違う文脈を取り入れる余裕やノイズを入れれる余裕などは必要なように思える。特にVCという仕事は、全身全霊でやったから結果が出るわけでもない仕事。自分の芸の幅を広げていく意味においても最近はビジネス書を全く読まなくなったように、こういった違う文脈を自分の中に取り入れていく工夫をしなければなーとは考えている。
ただこれを書きながら気づいたが、それは全ては仕事・投資のためな感もあって自分はネオリベの精神にどっぷりだなあと改めて思う。それを脱することはできないかもしれないが、メタにそういう状態にある認知をした上で自分は幸せになるセンスがないということを捉えた上で自分も生き方を考えないといけないなっていうところまで考えさせられた本だった。おすすめ。
なぜ現代人は疲労しているのか、好きなことができなくなっているのかについての本
カルチャーセンターなどで、教養で階級を補っていた。 自己の私的空間のみを大事にする。社会をすておく。アンコートラブルなものは無視する
ノイズのなさが自己啓発の真髄?としたらノイズを削除することを促す社会。
読書はノイズになってくる。パズドラはコントロールできる。
内面の時代、社会参加の時代は昔であった。
1990年代以降は社会をしってもしかたない、自己管理の時代になってきている。
個性を活かさなければならないのに、競争しなければならない
労働者の実存が労働によって実現されるようになってきた。 情報にはノイズ
仕事以外の文脈を取り入れる余裕がない、半身で働いていくことで、他の文脈をとりいれることができる。
新しい文脈を受け入れる余地がなくなる
内発的に個人が長時間労働をうみ、疲れてしまう。ネオリベ。個人が個人で強いている。
自由によって疲労が起こっている。
自己実現の奴隷
頑張りすぎると人は壊れる
トータルワークアウト。全てが
全身全霊コミットメントを求めてくるのが資本主義。全身は楽