勉強の仕方
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基本情報
書籍名: 勉強の仕方: 頭がよくなる秘密
出版社:
クレスト社 1996年「人生、惚れてこそ」
祥伝社, 1999「勉強の仕方」(改題)
ページ数: 272
金額: 620円+税
発売時期: 1999/06/04
本の感想 shimizukawa.icon
棋士(名人)同士の対談。良い言葉がものすごく多い。分野は違っても、学んで生き残ってきた人たちの対談は含蓄が多い。
1996年(初出)頃はインターネット前夜で、コンピューターとの関わり方についての言及は現在には合わないところもある。時代背景も現在(2024年)とは異なっている。それでも、語られている「勉強の仕方」は普遍的なものだと思う。
将棋における「真理」は勝つこと、勝ち続けること。勝利に繋がる戦術、練習法がより真理に近いと言える。ただし、「短期的には勝てるようになる戦術」と「短期的には勝てなくても、より長期で見ると勝てるようになる戦術」がある。長期的に勝ち続けられる戦術はより多くの真実を含んでいるといえる。これはshimizukawa.icon自身のソフトウェア技術者としての経験でも納得感がある。自分の場合は「真理」ではなく「本質」と表現しているけど、 本の概要
『人生惚れてこそ』(クレスト社, 1996年)の改題版
本書は、七冠を制した羽生善治と、六十歳名人を目指す米長邦雄の二人が、二日間に亘って語り合った対話集
言葉
第1章 頂上を見て生きる-仲介業者を絶対視すると人生に失敗する
「どう勉強するかという前に大事なことが、もう一つあるんです。それは、自分の人生の究極の目的というか、何を求めて生きるのかということです。あなたが遠く仰ぎ見る星は何なのですか」 shimizukawa.icon目的や、大目標がなければ学びにも繋がらないのではないだろうか?と思った。本書では米長邦雄氏(永世棋聖)が頂上を目指す中学生だった頃を回顧し、師匠を目標にしてはいけないと発言している。関連して、追求するべきは「真理」であって、真理の「仲介業者」に従ってはいけないと述べている。真理は絶対であっても、仲介業者は絶対ではない。
「子どもたちは小さいときから、ずっと仲介業者に振り回されるような生活を強いられてるんではないでしょうか。一見すごく恵まれた環境のようで、実はそうではないのかも知れない」「だから、意識して頂上を見なければいけません。(中略)大体このぐらいがトップ、これが現在の人間が考える最高であって、はるかもっと上に神様がいるのかもしれないけれど、現在はここがトップですよと。それを示して、あんたのレベルはここですよと。だから、あなたはここで教わっているんですよ。こういうことをきちんと示さなければならない。」
第2章 才能を開花させる秘訣-技術・技能を磨く以前にやるべきことがある
『詰むや詰まざるや』 の200題を全部解けば四段になれるという話がありましたね。 (中略)あれをすべて自分の力で解ければ、いろいろ理論的なことが身に つくということもあるんですけれども、もっと大切なことが隠され ていますね。実は、それ以外のことを試されるというか、試験されるようなものなんです。
最初一二歳ぐらいから始めて、200題全部を解くま でに六、七年かかっているんですよ。途中で中断したりしているん で・・・・・・。それで、終わってみて気づきました。技術がつくんじゃな くて、この難解な詰将棋200題を何年もかけて解く情熱とか熱意 があるから、つまり、そういう将棋への思いがあるから、プロになれるんだなと。
一般的に見れば苦労と思われることを別に辛くも何とも思わない、つまり、将棋を五時間、七時間考えているのを何とも思わないという資質は、ものごころついたときからそういう環境だったとか、周りじゅうみんなそうだったとか、それ以外に道はなかったとか、そういうものが大きい気がしますね。
第3章 ベストの勉強法とは何か-勉強にも"総合調整能力"が不可欠である理由
一言で、勉強の仕方と言っても、段階によって変わってきますね。将棋を覚えてからプロ入りするまでの勉強法と、プロ入りしてから一人前になる間の勉強法、さらに、一人前になってから目標を定め、そこにたどり着くための勉強法――、これはそれぞれ違ってきます。また、その人なりの目標とか才能の問題がありますが、自分はここまでいきたい、ここまでいけそうだという目標、その一つの到達点に達するまでの勉強法と、やがて下り坂になってきたときに、ど ういうことをやるかという勉強法、これはまるで違ってきます。それから、さらにその後の生き方を含めた勉強法、これもそれぞれみんな違うと思うんです。 それはある一つのコース、一つの航路、前に通った人のある航路だけれども、それを自分で行なってみるということですね。どうしてその人はその航路をたどったのか、どういう過程でそこにたどり 着いたのか、そういうことを自問自答していくわけです。レベルが上がってくれば、すでに出来ている航路を少し離れたところから見て、最初から自分で航路を考えるということもできるでしょうけれども、奨励会員とか、これから入って修業をするという人には、まだそれはちょっとむずかしいことだと思います。
最初は、先輩の通った航路を何通りも覚えていくしかありません。ただ、そこで大切なことは、それを丸暗記しようとするのでは なく、その過程を理解しようとすること。繰返しの中で理解するということだと思います。 だから、最初は真似、見よう見真似でいいと思います。誰でも真似から始める。それではつまらないなと思ったらやめればいいし、 自分なりにアレンジしたくなったら、そうすればいい。ある程度時間が経って、真似から理解になると「ああ、そうだったのか」と先輩の考え方がわかってくる。それはすごくうれしいことです。
だから、自分で考えるための材料、一つのきっかけとして、真似から理解へというステップが大切なのではないでしょうか。
ですから、覚える、真似して覚えるということが大事なんだけれども、同時に『自分の頭で考えること」が大切であり 、それが勉強のスタートなんですね。 もちろん研究会での対局も勉強になったんですが、終わったあと、ああでもない、こうでもないと言って検討しますね。それが自分にとってはいちばんためになった。ほかの人の意見を聞いて、検討していくと、自分自身では思い浮かばなかったアイデアがあったり、発想があったりします。あるいは意見の違いがあったりと、いろいろ刺激を受けるわけです。そういう意味では、ひじょうによかったと思います
ベストの勉強法は常に変化する
その時に応じてベストの勉強法をやれるかどうか。これが大切だ
すぐには結果の出ない勉強こそ重要
勝負に勝つことを優先する、すぐに結果が出る勉強法
将来的に見ればマイナスになるようなこと、失ったこともある
勉強にはマイナス面もあることに注意せよ
勉強というやつは、やればそこの部分は伸びるんですけど、どこかにマイナスが出ると思わなければいけません。つまり、勉強に関しても「総合調整能力」が決定的に重要だということなんでしょう 第4章 情報処理能力と実力の関係-パソコンは何を可能にし、限界はどこなのか
情報処理能力と実力の関係
出てきたデータをひじょうに重視して、そのデータが先生みたいになる。データを先生にしよう、判断基準にしようという人は将棋 が弱くなるし、駄目なわけです。特にトップを目指す人、先頭を走 ろうとする人には駄目だ。データが出てきたときに、なるほどそういうことかと、いったん、このデータを終わりにしちゃって、だからこの局面ではこうやるほうがいいんじゃないかというふうに、自分の判断や仮説がそのデータの先にいっている、あるいは先にいこうとしないと何の意味もない。むしろ害になるということだと思うんです。 第5章 今は、すでに過去である - 前進を目指さぬかぎり、後退が始まる
目の前に置いてじっと見ていても、すぐには何も変わりません。だから大事に持っているでしょう。だけど、間違いなく腐っちゃ う。どうして腐るかというと、時が経つわけです、一年という年月が。時が経つということは、状況が変わってしまうということなん だね。だから今は最善なんだけど、それは今の時点であって、今はすでに過去なんです。今は最善である。ところが一年先になると今はもう過去になっている。だから、一年先の現在に最善のものを持っていないと駄目なんです。
一生懸命に何年も勉強して、ようやくモノにしたのを全部捨ててまた未知の違うものに取り組む。いかにこれを続けていくか。若い頃に詰将棋を一生懸命解くのは、ひじょうに根気がいることで、歳をとったらなかなかできない。しかし、それ以上にできないことは、得意な戦法を捨てることです。そのことのほうがやっぱり、歳をとったらできなくなります。 変えるのが億劫になったら引退する
一般論で言えば、過去のことをまったく忘れ去れるかどうかとい うことです。それが、ひじょうに大事なことではないかと思う。たとえば自己紹介がありますね。自分の紹介というのは、当たり前だ けど、自分はかつてこういうことがあった、こういう実績がある、 今はこうであるというふうに言ったり書いたりします。しかし、これから私はこういうことをして生きていこうと考えているんだという紹介方法もある。自分を表わすときに。つまり、俺はこの会社で社長を10年やっている。俺は20年、取締役をやっている。そういうのでなくて、これからどう生きるかということを常に考える。そのためにどうやるかということが、いちばん大事な んです。
つまり、今やっていることは、アクセルを踏み込んでワーッと走る。ものすごいスピードを出して直進している。ところが、25歳、30歳と5年刻みに、それ以降は1年刻みの感じでカーブが出てきたり、坂道になっていたりする。だんだんそういう道が出てくるわけだ。今は高速道路ばかり走っている人が増えた。われわれは高速道路なんてない時代に生まれているからね。ギア のチェンジを覚えてきました。でも、これからは高速道路をそのまま走って、崖から落っこっちゃうという人がどんどん出てくるよ。高速道路を降りたあと、どういうふうに運転していくかがむずかしい。そのあとの運転の仕方が一つの問題だと思うんです。
一世紀にはパソコンを使った勉強や労働が日常的になるでしょう。しかし、パソコンを使って勉強や労働をしていると、どうしても人と人との会話が遮断されてしまいます。言うならば、脳に酸素を取 り入れてない。やはり、脳味噌をフル回転させたあとには、ゆっくりとしたゆとりの時間が必要です。30分働いたら、30分の休憩を取る。これ からのパソコン時代の労働は、そうあるべきですね。これが、望ましい有酸素運動なのです。
第6章 なぜ、大逆転が起こるのか-真剣勝負の醍醐味を明かす
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