社会的な健康を手に入れる
社会的な健康とは
健康の定義は様々だが、ウェルビーイング(Wellbeing)と呼ばれるものがある
いわく、以下の3要素すべてを満たすべき
身体的、精神的、社会的
身体と精神についてはわかりやすい
📝健康にてすでに述べた。十分な補給を行い、低性能として負荷を背負いすぎないよう立ち回れば維持できる 問題は三つ目、社会的要素
社会的健康であるとは、孤独ではないと言い換えても良い
人間は社会的動物であり、食欲や睡眠欲と同様、孤独から逃れたいという欲求が働く
仮に社会的欲求と呼ぶことにする
メカニズムで言えば、危機に対処するための興奮(ストレス)機能があり、これを鎮めるリラックスの手段として「親しい集団で過ごして潤う」がある
孤独だと後者の潤いが不足し、悪影響が出る。たとえば:
興奮が持続する → 心肺が慌ただしい → 心臓に負担がかかる → 心臓系の疾患
オキシトシンが得られない → 安らぎが得られない → 精神的な緊張や警戒が続く → 攻撃性が自他に向く
コロナ禍のリモートワークが好例
精神を崩した人が多く見られる
なぜかというと、社会的健康を満たせなくなったから
会社で顔を合わせて会話をしたり、仕事・私生活問わず飲み会やイベントで居合わせて過ごしたりといったことができなくなった
普段は満たせていた「孤独から逃れたい欲求」が満たせなくなった
たとえるなら、毎日2000kcal摂れていたのが、急に500kcalしか摂れなくなったようなもの
低性能と社会的健康
Ans: 低性能も人間であり、社会的健康は満たさないと健康になれない
前提として:
1 入手のハードル。低性能は「社会的欲求を満たせるようになるまで」が難しい
2 維持のハードル。仮に社会的欲求を満たせる関係や場を手に入れても、維持するのが難しい
まず入手のハードルがある
要するに友人、恋人、家族、あるいは信頼できる同僚など、それなりの親しさや信頼を伴った人間関係をつくらねばならないが、性能が低いのでこの営みに失敗する
例: 容姿や身だしなみに気を遣わず、「一緒にいて恥ずかしい」ので距離を置かれる
気を遣えばいいだけだが、そのためには「NGではないライン」の理解や、そのための各種行動――日々身だしなみを整えたり、美容院に行ったり、服を買ったり組み合わせたりといった高度な作業を要する
低性能にとっては難しいことである。ひとりで要領を得るのも難しいだろうし、仮に誰かから丁寧に指示されたとしても、指示を遂行しきる事自体が難しい。できないことはないが、人並以上に労力がかかる。ここで重要となるのがモチベーションとインセンティブだが、性能が低いのでそれらを悟るのも難しい
次に維持のハードルがある
社会的欲求を満たせる関係や場には、それなりの要求水準がある
この時間にこの場所に集まっていること
退屈させない程度に会話を交わす能力
不快を感じさせない程度に立ち回る能力 etc
性能が低いと、これらをクリアできない or できても労力が高いので「続かない」
そういうわけで、低性能は社会的健康を正攻法で満たすのが難しいと考えられる