関心の強さと成果を過度に結び付けて考える
関心の強さと成果を過度に結び付けて考える
「本当に好きならば続けられる」というのは間違いだし、そうした人が成果を出すというのも妄想です。
おそらくは成果に結びつく様々な要素を捨象しておられるので、動機の純粋さだけが残って過度に称賛されているのだと思います。
「ワナビーが行動を起こさないのは、結果だけに興味があるだけで過程に興味がないから」
それは正しいな
「過程に興味がある人ならば行動を起こせる」
それは部分的には正しそう
「過程に興味がある人は続けられる」
ここまで行くと怪しい
モチベーションの純粋さが過度に理想化されている気がする
結果にあこがれているだけであったとしても、行動を起こすのがうまい人はいる
純粋に好きな気持ちを持っていたとしても、成果が伴わない人だっている
だから「自分のやりたいことってなんだろう」みたいな難問に悩まされる
本来悩む必要なんてない問いなのに