怒り、悔しさ、勝ち負け
怒り、原動力にしがち
20代までは、絶対に許さない人間をつくり、そいつを張っ倒すために頑張ってきた
でもなんかあんまりいいエネルギーじゃないなと思った
自分の中から生まれてくるモチベーションではない
30代はそういうモチベーションの作り方をしないように心がけている
そもそも人を許す寛容性を持とうと頑張っている
それでも許せない人間はたまにいる
著しく不義理を働く人間
さまざまな格差を理解した上で、積極的に加担する人間
約束を守らない人間は最近許せるようになってきた
「負けず嫌い」
勝ち負けを重視していないと負けず嫌いにはならない
勝ち負けを想定していない人間は負けず嫌いという価値観がない
勝者と敗者
トーナメントをしていくと最終的な勝者は1人しかいなくなる
それ以外の人間は全員敗者になる
為末大
「『人生が勝ち負けではない』と思えるようになるには、自分の全てを賭けた勝ち負けを経験しなければならない」
「スポーツの世界を離れると、普通の社会ではそんなに頑張る人が意外に多くないということにも気がついた」
自分なりにすべてを尽くした勝ち負けを経験したのだから、勝ち負けで考えるのはもういいのでは?
負けたくはないが、別に何かに勝ったところで面白くない
だとしたら普通に自分が楽しいと思えることをやったらいい
楽しいと思えることが仕事にならなかった勢
そんなもんある方がレア by arimuri
ないならないなりに、死なない程度に稼ぎながらやるしかない
やはり不動産しか…
怒りをモチベーションにしないで、自分の中から自然に上がるものをモチベーションにしたいものである