研修生
そんな中で人は、1日1日、インターネットというある種の「超越的主体」なしに、どのように異なる文化のなかで成熟していったのか、ということをもう一度思ういだしれみようというような意図で書かれたのがこの作品らしい。(ポッドキャストより) 日記をつなげることによって書かれたようにも見えるこの作品は、多和田葉子作品のおはこというべきか、明確なストーリーなしに進んでいく。百年の孤独の語り口をそのまま引用しながら、日記の余白に後から付け足したような注釈としての「この後ーーーになることはこの時点ではわかるはずもない」というような節が所々に引用され、終わり方まで百年の孤独のフラクタル構造をオマージュしている。疎な日記は自己言及構造を持っているのだろうか。かつて、ドゥルーズが「すべての会話は自由間接話法である」と言ったのを微かに想起させる。