構成概念について考えた話
ウィトゲンシュタインの言ったように、これまで哲学で考えられてきた「美とは何か」や「善とは何か」みたいな命題って結局言葉の使い方に左右されるから、語り得ることではないんだけど、プラグマティズム的な知識を得ようとするとき、とりあえず「自尊心」とか「パーソナリティ」とか、定量的に語りきれないものをなんとかして近似的な概念を使って定義する必要に駆られるわけで、そこでするのが「構成概念」という用語。 源氏物語を嚆矢に妄想を広げてみたでも書いたように、(全然描き終わってないけど)時代とか文化によってかなりこの構成概念の作り方が変わる。(言語、文化間の翻訳不可能性に起因する)