信頼について
ゲマインシャフトとゲセルシャフトの対立にも示されるように、人間社会に必要な「官僚的なシステム」が時にコストがかかりすぎるために、「信頼」という社会的な発明品を我々は用いる。それが裏切られていたとしても、「なぜこの人を信頼してしまったのだろう」と感じたくないという認知的不協和を避けるためにある段階までは続くけれども、それが「絶望」に変わった時にその評価が反転する、というものだ。 ナショナリズムはこの「信頼」を必要とする。そのためのツールこそが統一された国語であり、通貨であり、義務教育であるわけだ。ハラリなんかは、(雑であるが)この全てを「人間社会を成り立たせるための虚構」と論じ、その刷新が必要とされているといったわけである。そのストーリーの構造を考えたのが柄谷行人の近代日本文学の起源であり、ベネディクトアンダーソンの想像の共同体であるのだけれど、重要な役割を添えられたのが小説である。 福嶋亮大は世界文学のアーキテクチャで、文明社会の勃興をロビンダンバーなどを参考にしながらどのようにストーリーが必要とされてきたのかを世界史ー地政学的発展を参照しながら紐解き、そもそも小説の始まりというのは「世界との出会い」であったのだと言い、コロナ禍や生成AI競争などで人間が「メディア化」していく中で実存を取り戻すために「文学」の復権を目指そうとする。(これに関しては福尾匠が置き配的の中で、メディア社会の中での端末のようにして人間が「いうべきこと」の密集から離れるべきだ、と議論したのとどこか似た問題意識を持っているように思われる) ところで、そんな中読んでいた万物の理論としての圏論という本が結構面白かった。話題は色々な分野にわたっていて、機械学習から「ポストモダン」と言われるような思想、数学史の背景にある哲学史、言語学や経済学や量子力学などの論争を、圏論という道具によって統一的に語りながら、すでに失敗してしまったかに見える啓蒙とそれならば早く全て終わらせてしまうしかないという暗黒啓蒙の二つの選択肢しか残されていないかに見えてしまうような暗澹とした現代社会の「不条理」を打破していこうという野心的な本で、僕がぼんやりと考えてきたこととも近い良い本だったと思う。