置き配的
僕が日頃から感じている「おかしさ」が解消されたような本だった。
「フィルター・バブルというよりも、共依存的な島宇宙である」
それは「コミュニケーション」を偽装したある種のパフォーマンスがわれわれから黙秘権を奪う。
なんとなく論理的思考の文化的基盤での、アメリカ的な「結論を先に」が普遍的な論理のようなものとして扱われていることが関係しているようにも思われる。新自由主義はわれわれに「密」(差し当たり、二者択一の選択肢を求められるようなこと、と定義しておこう)を求めてくるというのは、僕が幼少期から感じていた気がする。 黙りこくるような場面を何度も思い出す。
そうだ。僕は「疎の空間」こそ欲しているのだった。(それが哲学においてみなされる「問いの形式を疑って概念を創造する」ことである)
身につまされる指摘だ。
そこにいったという事実証明としての打卡(中国語で「カードを打つ」)。
ロジスティクスの発達により、。かくいう僕も、方向音痴でGoogle mapを使わざるをえないし、Amazonのほしい物リストに本を入れたりするのがのが、一日中続く躁病的な読書のちょっとした箸休めになっている。 本作は福尾匠が非美学と同時並行で書かれたものであり、その実践編としての要素がある。 囲碁的な文体。