資本主義の次に来る世界
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資本主義の次に来る世界 | 東洋経済STORE
資本主義は悪だ!とひたすら訴え続ける本
2 0 2 0年にはオーストラリアで森林火災が発生し、住民は海岸まで避難した。その時の光景は黙示録的な映画を思わせた。 10億匹もの野生動物が死んだ。黒焦げになったカンガルーやコアラが散乱するさまが映像に残されている。
オーストラリア森林火災 (2019年-2020年)
この事件っぽい
気温の上昇によって今までになかった災害が頻発している
「プラネタリー・バウンダリー」〔地球の限界──地球上で人間が安全に生存できる限界〕として定量化した限界を大幅に超え、生物界に破壊的な影響を及ぼしている
GDPは幸福な数字ではないぞ経済成長しているというのはただのまやかし、幻想だよね!という主張
資本主義の特徴は、市場の存在ではなく、永続的な成長を軸にしていることだ。事実、資本主義は史上初の、拡張主義的な経済システムであり、常にますます多くの資源と労働を商品生産の回路に取り込む。資本の目的は、余剰価値の抽出と蓄積であるため、資源と労働をできるだけ安く手に入れなくてはならない。言い換えれば、資本主義は、「自然と労働から多く取り、少なく返せ」という単純な法則に従って機能しているのだ。
何でこんなことになったんだろう。
人間は利己的であり、自分の利益を最大化させる生き物
利益のみを追求するオートマトンである
1 5 0 0年代には、自給自足経済は破綻し、同時にヨーロッパ史上最悪の飢饉のいくつかが起きた。社会基盤はずたずたに破壊され、 1 6 0 0年から 1 6 5 0年にかけて西ヨーロッパ全体の人口は減少した。イングランドではこの大惨事の痕跡が、歴史的な公衆衛生記録にはっきり残されている。平均寿命は 1 5 0 0年代には 43歳だったが、 1 7 0 0年代には 30歳にまで低下した
これまじ?知らなかった。
植民地における資源採掘、森林伐採、プランテーションでの単一栽培は、当時としては過去に例を見ない大規模なダメージを生態系にもたらした。実を言えば、資本家にとって植民地開拓が魅力的だった一番の理由は、その土地とそこに住む人々をどう扱っても咎められなかったことにあった。
イギリスの政治家はしばしば、イギリスはインドの「発展」を支援した、と主張して、植民地主義を擁護する。だが、事実は逆だ。イギリスは自国の発展のためにインドから搾取したのだ。
資本主義は自らを滅ぼす。
生産する作業は、地域の充足を目的にするものではなく利益中心に計画されたものである
資本主義は囲い込みによって導入されたものである
仕組まれたもの
貧困とは、個人が余剰労働力〔必要労働時間を超えての労働。余剰価値を生み出す〕を持たない状態、すなわち、個人が財産を持たず、生計を立てるには勤勉に働き続けるしかない状態を指す。ゆえに貧困は社会において必要不可欠な要素であり、貧困がなければ、国家とコミュニティは文化的な状態を維持できないだろう。それが世の習いだ。貧困は富の源である。なぜなら、貧困でなければ人々は働かず、金持ちは存在せず、富の所有者たるべき人々にとって、改良、快適さ、利益は存在し得ないからだ。
これはマジでそうやね
貧困というのは、社会において必要不可欠な存在
貧困がなkれば国家とコミュニティは文化的な意地ができなくなる
貧困でなかれば人は働かない
富を持つ人が改良や快適さとか利益を増やすことにならないからだ
ヨーロッパがインドを植民地にして色々生産させた営み
元々アフリカとかもそうだが自給自足のスタイルとマッチ度が高い
富を生み出すには人を貧しくするということがある
わかるようでわからないrkasu.icon
アニミズム
似たようなことは植民地でも起きたが、そこではさらに進んだことが行われた。植民地化の時代、グローバル・サウスの人々は常に「自然」で、「野蛮」で、「野生的」な、人間以下の存在と見なされた。現に、スペイン人はアメリカ先住民族を「 naturales」(自然)と呼んだ。二元論は、植民地における土地の強奪だけでなく、人々の身体の強奪を正当化するためにも利用された。
これは流石にひどいとは思う
正当化できんだろ。
スペイン人側は本心どう思っていたんだろう
やっぱり仕方ないみたいな思考が勝るのかな
大量絶滅が進行中であることを示す統計は増える一方だが、そうした情報をわたしたちはほとんど気にかけようとせず、驚くほど冷静に受け止めている。嘆き悲しんだり、感情的になったりしない。それは、基本的に人間を生物コミュニティから切り離された存在と見ているからだ。絶滅しかけている種は向こう側の、環境の中にいて、わたしたちの一部ではなく、ここにはいない ★ 47。そう考えるのも無理はない。結局のところそれが資本主義の核心なのだ。世界は生きておらず、わたしたちの親類などではなく、採取と廃棄の対象にすぎない──その世界には、そこに生きる人間の大半も含まれる。資本主義はその原則を打ち立てた時から、生命そのものと争ってきたのだ。
悲しき人類
そうだよな。切り離して考えているから「仕方がない」というマインドになるわけで
成長というのは常に剥奪のプロセスであった
資本主義というのは投資家に投資してもらうためだけの行為である
肝心なのは利益ではなく成長率
成長は経済と政治に深く組み込まれており、どちらのシステムも成長なしには存続し得ないほどだ。成長が止まれば、企業は倒産し、政府は社会サービスの資金を失い、人々は失業し、貧困が拡大し、国は政治的に脆弱になる。資本主義のもとでは、成長は社会組織の単なるオプション機能ではない。全員を人質にした要求なのだ。経済が成長しなければ、すべてが崩壊する。わたしたちは成長という要求に拘束されている。世界中の政府が自国の総力をあげて蓄積のトレッドミルを回し続けているのも驚くには値しない。
コスタリカは、おそらく最も驚くべき例だろう。熱帯雨林が生い茂る中央アメリカの国、コスタリカは、所得がアメリカより 80%低いにもかかわらず、平均寿命では勝っている。実際、コスタリカは、環境への負荷を最小限に抑えながら高水準の福利を実現しているという点で、世界で最も生態系に配慮した経済の一つと見なされている。その経時的な推移を見ると、この話はいっそう魅力的に感じられる。コスタリカは 1 9 8 0年代に平均寿命を目覚ましく延ばし、アメリカに追いつき、追い越した。その時期、国民 1人当たりの G D Pはごくわずか(アメリカの 7分の 1)であったばかりか、まったく成長しなかった。
GDPは人を幸福にしない
これと同じようなことが消費に関しても起きている。不平等さは人々に、自分が持っている物では足りないという気持ちを抱かせる。わたしたちは常により多くの物を求めるが、それは必要だからではなく、世間の人々に後れを取りたくないからだ。友人や隣人が多く持っていればいるほど、自分もうまくやっていると思いたいために、より多くを持ちたくなる。
これはマジでそうかも
最近この辺どうでも良くなってきているが、たまに思うことがあるのでまだ毒されているなrkasu.icon
デンマークの国民は、他の高所得国の人々に比べて、購入する衣服が少なく、長く使うことが明らかになっている。企業が広告にかける費用も少ない
いい話
ワイもマジで服最低限あればいいもん
余暇の少ない人ほど、より集約的な消費をしやすいのだ。そのような人は、高速での移動、食事の宅配、衝動買い、買い物セラピーなどに頼っている。フランスの家庭を対象とする研究では、長い労働時間は、環境負荷の高い商品の消費と直結していることが判明した。
マジかよ。でもなんかわかる
微生物を除去されたマウスは反社会的な行動をとることを発見したらしい
結論木がたくさんあるところで暮らすことができれば良い
#読書 #資本主義 #2025年に読んだ本