福祉は誰のため?
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『福祉は誰のため?』竹端 寛 | 筑摩書房
学校教育法21条
学校内外における社会的活動を促進し。自主、自立及び協働の精神、規範意識、公正な判断力並びに公共の精神に基づき主体的な二社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと
国語とか算数とかそういうのも大事だけど最上位なのは上記を行うのが学校の役目
現在のみんなが同じ教室で同じカリキュラムを同じ時間で行うシステム自体がおかしい
なので障害のある人の学級が別で作られていたりする
生活保護を受給している人=だめだという解釈はだめ
そうじゃない人からみると
働かないで生活できているのがずるい
苦しい思いして働いているのに生活保護とそんな変わりないお金しかもらえない
でも生活保護を受けている人は必ずしもそうではない
ちゃんと対話しないと行けないレッテルとか生活保護を受けているだけでそういう目でみてはいけない
困った人を排除するのではなく困った状態にフォーカスを当ててどうやったら困っている状態から抜け出すことができるかを一緒に考える
取るべき責任を遥かに超えたことをしている可能性がある
なのに他人に迷惑をかけてしまうと抱え込んでいる
発達障害が多くなったのは同調圧力や排除の要求が急速に強まった
社会的理由で急増したのでは?
津久井やまゆり園の事件
パターナリズム
強いパターナリズムと弱いパターナリズムがある
強い:個人に十分な判断能力、自己決定能力があっても介入・干渉がおこなわれる場合
弱い:個人に十分な判断能力、自己決定能力がなくて介入・干渉がおこなわれる場合
戦争神経症
戦後になって性格が悪くなる。
戦争中人を殺めてきた
これもある意味で被害者
抑圧委譲
虐待やDVに関する法律も2000年代になるまでできなかった
これは戦後の軍隊イデオロギー、男性が中心だった社会を、戦後復興で頑張った日本を否認することになるというのを恐れてできなかった
考え方が変わらないのはコテンラジオの障害の回でも言ってたなrkasu.icon
重度の障害を殺した母の話
世間は大変な思いをしたのだから罪を軽くする運動があった
しかし
普通なら子どもが可愛そうとなるのを重度の障害を持った子どもというだけでなぜ親に同情が集まるのか
この感覚が相手を違う生物とみるか同じ生物をみるかの分かれ目だ。
有罪に必ずすること。これが日本の新の福祉社会のはじまりになる
能力は分かちもたれて現れたものであり、それゆえその力は関係的であり協働のものであり、能力は個に還元できない
自分で頑張っている成果が自分のものではないという意味合いではなく、今まで能力を試したり、勉強したりできているのは親だったり、経済的な理由だったりが前提にある。時間的な余裕もそう
なので周りの環境がそうさせてくれた
資本主義そのものがいけない
家族ができて子どもが生まれる前と生まれたあとでは時間が限られてるくる
能力主義社会そのものがおかしい
時間が取れず今までみたいな仕事スタイルができないことは自分の能力不足ではないかと考えるようになってしまうが実際は違う。
自由とか自立のようなものにすがってきたが実際は人間性や差異、必然、依存などと向き合っていく必要がある
福祉とは幸福を意味する
なんとなく感想
これから弱いパターナリズムが必要になる
弱いを差し出せる社会にしていく
他者の他者性を聴くことが大事
福祉って介護とセットでよく見るから福祉が幸福ってことをなんとなく忘れがちだったけど今回でしっかり区別できるようになったかもrkasu.icon
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