みんなが手話で話した島
https://gyazo.com/999d2e98d105d40e623368dd400e1978
みんなが手話で話した島: 書籍- 早川書房オフィシャルサイト|ミステリ・SF・海外文学・ノンフィクションの世界へ
族内婚個体群
私がおこなったすべての面接で聾の島民が一つの集団として、あるいは「聾者」として思い浮かべられたり、取り上げられたりするケースが一度もなかったという事実こそ、聾者が社会のすみずみまで完全にとけ込めていたことの端的な証拠に他ならない。
聾者と認識しちゃうのはそもそも手話をできないからなんだろうな。。
でも物心ついてからだともう遅いのかもrkasu.icon
発明家のグラハムベルも聾は遺伝するのかというのを調べていたらしい
電話を発明した発明家であると同時に、ろう者教育に生涯を捧げた人物としても知られています。
優生思想もある。。。
そこにはこんな自問の言葉が書かれていた。聾があらわれそうな家族の四人に一人しか先天性の聾者がいないのはなぜなのだろう。高校で生物を習った人なら誰もが知るように、メンデルの潜性遺伝の性質は三対一(二五パーセントの割合)で子孫にあらわれるのである。
こういうところまでいったけどマーサズ・ビンヤード島は違かった
本来の手話は独自の文法、統語法、慣用構造を持っている。島の健聴者の中には、指文字を知っている人が指文字を多用して身振りを英語の文法構造に合わせたピジン身振り体系を用いている者もいたかもしれない。また中には、ピジン身振り言語(ピジン手話)をあらわしてはいたが、ヴィンヤード手話が用いられたときには、それを読み取っていた者もいたかもしれない。というのは、読み取りの能力は正確な表現力より身につけやすい場合が多いからである。
ピジン言語
手話が混じっていたのか
みんなが手話を使って話をしていました。そこは完全な静寂の世界で、話せる人も声を出さないでいることがありました。
便利
コードスイッチング
猥談とか話にくい話題になったら口から手に切り替わることがあった
聾者はいかなる技術でも指導できずいかなる治療でも改善できずいかなる知恵でも教育できない
ルクレティウスの詩
ヴィンヤード島から引き出せる最も重要な教訓は、共同体が障害者を受け容れる努力をおしまなければ、障害者はその共同体の正規の有益な構成員になれるということである。社会は万人に適応するため、多少であれ自ら変わらなければならないのである。
この本から学んだこととして
手話というのは第一級言語だということ
それは英語学ぶのと同様に大人になってから学ぶのも難しいぞ
#読書