機械論
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機械論
自然や社会や生物を扱うとき,内的目的や霊魂を排除してどこまでも物質的な諸要素の集合とその運動として決定論的に取り扱う態度。すなわち有機体をモデルにするのではなく機械をモデルとして対象を考察する態度のことである。したがってどのような機械をモデルにするかによって内容が異なり,時代によって機械論も変遷をとげてきた。哲学で伝統的に〈機械論〉ないし〈機械観〉と呼ばれてきたのは,時計をモデルとする17~18世紀に有力だった機械論を指したので,現在もこの意味で用いられることが多いが,19世紀の機械論は原動機(蒸気機関)をモデルにしていたし,最近の機械論や新しい人間機械論はコンピューターや自動制御機械をモデルにしている。 古代ギリシアにおいてすでに,自然を物質的要素から構成されているものとして見る態度があった。ソクラテス以前の自然哲学がそれであるが,とくにデモクリトスを代表とする原子(アトム)論は要素の形態と配列と位置の相違によって事物の質的変化や生成消滅を説明し,魂をも一種の火であって球形のアトムであるとした。それは自然自体の中に目的を認めず自然を有機体と見ない点で機械論であったといってよい。しかし中世においては支配的な思想にはならなかった。機械論の再出発は17世紀初頭のヨーロッパで行われた。その背景には中世における建築技術の発達や機械時計の完成,さらに大砲の開発による投射体の運動の研究や航海術の進歩に伴う位置決定の課題などがあったのであるが,17世紀はじめに,それまで支配的な自然観・社会観であった目的論的・有機体論的なアリストテレス主義と,隠れた性質を認めるヘルメス主義を批判してF.ベーコンが新しい要素論を唱え,デカルトが魂と物体を明確に区別して物体から内的目的や隠れた性質を排除し,自然を〈延長〉としてとらえ,運動を位置の変化として幾何学的に研究する方法を打ち立てて,近代の機械論が成立した。すなわちデカルトは,当時完成した機械であった時計をモデルとして,自然を外から与えられる運動によって〈法則〉に従って動く部分の集合であると見たのである。これは当時のガリレイやホイヘンスにも見られる新しい自然観の定式化にほかならず,力学(正しくは機械学mechanics)を模範とするそれ以後の近代科学は現代まで機械論の立場をとっていると言ってよい。デカルトが自然から排除した内的なものは,その後ニュートンとライプニッツによって〈力〉として再導入されたが,神による〈最初の衝撃〉に依存する外力であった限り時計モデルの機械論を出るものではなかった。医学においては化学的な扱いも有力な思想としてあった(医化学派Iatrochemiker)が,17世紀末には,心臓をポンプ,肺をフイゴ,胃を摩砕機,腕を起重機と見る機械論的身体観がほぼ成立した。このような立場は〈医物理派Iatrophysiker〉と呼ばれたが,本来は〈自然学〉一般を意味していたphysicaの語がそれ以後は〈機械論的自然学〉つまり〈物理学〉に限定されるようになったのである。機械論は社会をもこの立場で扱う社会物理学をもたらし,自動機械としての人間をモデルとするホッブズのような国家観も生み出した。 18世紀後半以後,蒸気機関の開発などもあって自然に内在する原動力を重視する進歩と進化の思想が有力になり,一方では目的論や有機体論を復活させたが,他方で原動機をモデルとする新しい機械論を生み出し,自然の運動の外的原因としての神を不必要にした。しかし18世紀末から19世紀初頭にかけて思想的には古い機械論への批判が目的論の復活という形で展開した。この問題を鋭く受けとめたのはカントで,彼は《判断力批判》の第2部で〈物質的事物の生成はすべて単なる機械的法則によってのみ可能である〉という機械論的命題と〈物質的事物の生成のいくつかは単なる機械的法則によっては不可能である〉という目的論的命題との二律背反を解決しようと努力した。カント以後,シェリングやヘーゲルも機械論と目的論の統一を目ざし,こうして19世紀には物理学においてさえ要素論はかえりみられなくなった。カントからヘーゲルに至るこの古い機械論批判の過程において哲学用語としての〈機械論〉の概念が定着したのであるが,19世紀には事実上この意味での機械論はすでに乗り越えられていたのである。すなわち,古い機械論の産物であった燃素(フロギストン)説は乗り越えられて近代化学の成立となり,熱素(カロリック)説も克服されてエネルギー論Energetikが成立した。これは原動機モデルの機械論であった。
しかし20世紀に入って機械論は第3の段階に入った。すでに19世紀の間に元素が次々に発見されたうえ,ウェーラーによる尿素の合成をはじめとして有機物の機械的生成が可能になるなど化学の発達があって原子論が準備されつつあったし,確率論や統計学が発達して熱現象を分子の運動によって説明しようとする努力がなされていた。さらに19世紀の間に機械技術が高度に進んで互換性部品による大量生産方式も登場しつつあった。こうして20世紀には,非決定論を組み込んだ原子論(量子力学)が登場し,オートメーションも進展して蒸気機関よりも機械体系全体の要素化とそのシステム化が機械の新しい姿となった。すなわち20世紀の新しい機械論は,情報処理機械(コンピューター)や自動制御機械(ロボット)をモデルとする機械論なのであって,分子生物学はまさにその生物への適用である。サイバネティックスはこの新しい機械論の呼称と言ってよいが,それは有機体をモデルとする機械論なのである。この新しい機械論は社会や人間にも適用されつつあるが,その特徴は構造化とそれに伴う〈意味〉の捨象であって,生きることの意味や人間の主体性(意志)と機械との関係が新しい課題として登場してきている。