210814
細かく描き込むことは、表現の一つだ
twitterの海のどこかで見た
最近のアニメは、新海誠や細田守や庵野さんや宮崎駿など、細かく丁寧に描き込んだ作品が多い
でも、細かく描き込んだものが正解で荒いものが不正解なのではなく、どちらも表現方法の一つだと、その人は言っていた
アマプラに追加されたため、父が観ると言い出し、結局最後まで自分も観てしまった
克明な呉の街並み(奥に橋が見える)が、たぶんゲンドウの鉛筆画のシーンで一瞬出てくる。それが、最後の空撮カットと同じ視点のものだと気がついた。
第三村でケンケンとドライブするシーンなんかの背景にある工場の煙突、ゲンドウのシーンでも出てくるし、呉なんだな。
シンジがエヴァから出るシーンで、上の方に上がっていくけど、LCLの液体感と海に繋がってる演出が上手い
だから浜辺に出てくるのだ
お風呂とLCLについては、アヤナミ(仮称)が「LCLと違ってポカポカする」と言っている通り、他の液体との関連構図はできていた
マリさんもエヴァから海に飛び込むことから、記憶を持ったまま最後のシーンに移行することがわかる
千と千尋の神隠しで、トンネルを抜けた後も千→千尋つけた髪留めがきらりと光って、これまでのトンネルの向こうの世界は現実であったと、観客に知らせるように
マリさんとシンジくんが浜辺にいるシーンから、駅のホームのシーンに急に移り変わっても、シンジくんの首にDSSチョーカーがあることが、これが記憶の続いた、続きの世界であることを物語っているのだ
これに以前二回見た時には気がつかなかった
なんでチョーカー外すの?14歳から28歳までは14年間また過ごさないといけなくて、14年間ずっとつけてて14年ぶりのマリさんとの再会?って思ってた。映画に描かれていなかった14年が、魔法のようにチルドレンたちにふりかかった、という発想がなかったのだ
DSSチョーカーはエヴァの呪縛からの解放の象徴であり、One Last Kissがかかる