功利主義
つまり今日の情報社会では、「する」というアイデンティティをもちうるのは(「自由意志」という虚構を、無邪気に信じられるのは)、デイヴィッド・グッドハートの述べる Anywhere な人びと(クリエイティブ・クラス)に集中し、Somewhere な人びと(労働者)は、「である」というかたちでしかもちえない。敵を名指しして、口汚く罵ることは「する」行為としては「評価」されないが、共同体のなかでの「承認」、つまり「である」ことの確認としては有効な手段だ。そのため、必然的に「アイデンティティの政治」が後者(と、後者を動員するインセンティブのある前者)の支持を得る。マイケル・サンデルやデイヴィッド・グッドハートはメリトクラシーを批判する。それは言い換えれば才能と運に恵まれた人が「成功」する以外に正当な自己確認ができない経済構造に対する批判だ。これらのメリトクラシー批判が重要なのはこの点にある。