「観光客の哲学」とアートプロジェクトの理念
「観光客の哲学」とアートプロジェクトの親和性が高そうだったのでメモ(北川フラムも帯に一筆してるし)
書籍の内容を超要約(哲学は専門ではないので間違ってたらご指摘ください…)
観光して誤配で憐れみ感じて「子ども」(比喩)つくって、小さくてアイデンティティ感じられる(拡張)家族つくってこうというメッセージ
ただし、家族的共同体をつくることと、観光客の連帯をつくることは別のレイヤーの話
→さらに整理すると「家族的な共同体に支えられたを主体が、その上に観光客的な連帯を形成するイメージ(個人→国民→世界市民というヘーゲル的な形ではない成熟として示される)。」
観光=文字通り遠い場所や縁遠いもの、広く言えば他者に、娯楽的に(政治的意図などなく)接触すること
誤配=観光をすると、本来見たかった観光地以外の、思わぬ現象や場所、人に出くわすことがある。そういった偶然の邂逅を表す。
(拡張)家族=血の繋がりは必ずしも必要ない。養子やペットや、家を共有するもの、あるいは遠く離れていて合ったことのない人にも人間は「憐れみ」を感じて、家族のようなコミュニティをつくることができる。
家族的なコミュニティの例として、日本の家族的経営も再評価されている?
子ども=そうした憐れみを感じ、拡張家族の一員となったもの
アートプロジェクトとどうつなげるか
これまでの議論
共同体の「内」と「外」を分ける動きが加速化するなか、そのどちらにも属さない「いい加減な観光客」は二極化の構造をゆるがす存在であり、それゆえに可能性がある
地域アートプロジェクトにおいて、「どのようなコミュニティづくりを行うか」は課題
薄く広くひとをつなげることがよそ者やアートにできることだ、という立場
狭く濃いつながりを生み出す、もしくは支援しなければ、実際に地域を変える行動につながることはない、という立場
どちらもある意味ただしい?(地域によって求められているものが違うといえばそれまでだが)
以上の議論を踏まえると、アートプロジェクトは「観光客のレイヤー」と「家族のレイヤー」どちらで活躍すべきか、(あるいはどちらかなのか、その間なのか)という話が大事な気がする
観光客の哲学に基づいて考えると
「普段は交わるはずのない『観光客』と観光地の人が、家族的なつながりを持った共同体をつくること」ができれば善いのでは?
→これは観光客と家族のレイヤーをごっちゃにした議論なので妥当ではなかったっぽい
観光客のレイヤーは全く別に形成される
観光客=アートプロジェクト運営者、アーティスト、観客(地域住民も含む)
観光地の人=地域住民
あえて先述の立場2つと併せて考えるならば、「遠いけれど濃いつながり」が「拡張家族のレイヤー」では大事
ネットワーク的に言うと、ノードの距離は遠いけれど、その数自体は少なく、なおかつ太く濃いつながりである状態
誤解を恐れずあえてマーケティング的に言うと、薄く広い新規獲得より、超濃いリピーター観光客を獲得する戦略を取って、ともにプロジェクトをつくるようにするほうがいい?
アーティストインレジデンスなどは、関わる人数こそ予算規模の大きいアートプロジェクトより少なく、動員もできないかもしれないが、レジデンスという家にアーティストというよそものが入り込み家族的なコミュニティを形成する(ことがある)という意味で強いのかも
神山町とかの強さはそういうとこにある?(特定のよそものを家族化する・とはいえそれは誤配のない家族の形成かもしれず問題もあるかもだけど)
若干課題なのは、「そうした方向性」が地域経済の面で合理的であるなどの理論武装で行政などを納得させるツールにまだなってない=実現しにくい ところ?
「曖昧な場所の大事さ」(=フルコミットしない人を許容すること)と、「家族的なつながり」(=憐れみを感じ深いつながりをつくること)が同居する場所をつくること
過剰一般化かもしれないし、無理に適用しても変なだけかもしれないので、あくまで思いつきの範囲ということで
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地域づくりも同じだろう。地域づくりに必要な人を「ヨソモノ・ワカモノ・バカモノ」と言う。この三つを言い換えれば、そのまま「外部・未来・ふまじめ」ではないか。当然、被災した土地の未来は、そこに暮らす人たちが決めるべきだし、怪しいコンサルの話を聞けというわけでもない。しかし、地域の決断は、「今このわたし」と「外部・未来・ふまじめ」を何度も何度も往復した末にあるべきだ。未来と外部を切り捨ててはならない。なぜなら私たちの地域は「今このわたし」だけのものではないからだ。これは、小名浜という地域で、地域づくりや食に関わるわたしの、実践者としての信念でもある。偶然に移り住むかもしれない人たち、震災のことなんてわからない未来の子どもたち、本当は関心を持っていたのに言葉を発するのをためらっていた人たち、そのような人たちを切り捨てた復興であってはならないのだ。