自分が搾取されていることを肯定できる人はそもそも搾取されない
「自分は搾取されているとは思っていない」という文章を見かけたが、「自分は搾取されている」という認知は精神的な苦痛が大きいので、その苦痛に直面するくらいなら「搾取されているとは思っていない」と思い続けるだろう。 逆に、その精神的な苦痛を乗り越えて肯定できる人はメタ認知がしっかししているので、その状態では(つまり、よっぽど精神的に弱っていない限りは)搾取されるような行為に自分から飛び込むことはないだろう。 そして、現実を見ないようにと苦心している人に、現実を「はいどうぞ」と突きつけたところで、余計に強く顔を逸らすだけであり、その言説がさらにその認知を強化してしまうので、益がないばかりか悪影響すらありうる、という難しさがある。
ともかく、現実はいつでもどこかしら痛みがある、ということを受け入れておかないと、どんどん痛みからの逃避が強まっていく。倉下が「ありのままの肯定」的なものを拒否するのは、そういう危ういビジネスにいくらでも近接してしまうから。
心の痛みを避けることの意義はあるにせよ、あらゆる心の痛みから退避してしまえば、「私は別に搾取なんてされていない」を大々的に肯定してしまうことになる。その道行きが持つ、一番大きな危険性について、僕はとても気になる。