考える生活
ある系というのは、入力と出力のバランスで保たれているので、何かをただ減らせばよい、ということはあんまり起こらない。別の言い方をすると、システムを還元的に捉えると見失うものが出てくる。
でもって、「わからない」を提供するのはとっても難しいことなのだ。「わかる」を提供する本は、賢い人ならすぐに書けるのだろうけども。
言い換えれば、「わかる」しか提供できない人は、「他人にだまされているばかりの人」を減らすことができていないことになる。
さらに辛辣に言えば、「わからない」が増えない「わかる」は、実際何もわかっていないのだ。既存の「わかる」を再確認しているにすぎない。
発想は受動的
昔を振り返ったときに「hogehogeだったなんて嘘みたいだな」と思うことがあるわけだが、実感至上主義ではまさにそれは嘘になるわけだ。
ある種のラベルづけ(「自分は○○だ」)は、自己成就的というか、自分は○○だから何をやっても変わらないのでこのままでありつづける、という変化の拒絶でもあるので、よろしくないことが多い。
どうしたらいいのかわからない
何を考えたらいいのかわからない
どう考えたらいいのかわからない
「主語がでかいんじゃない。レンズが小さいんだ」
ある領域で出てしまう思考の癖は、別の領域でも出やすい、と思っておくほうが無難。
リベラルはその役割を終えたのだろうか
そもそも、リベラルの役割とは?
民主主義
人民・自由・進歩
自分の認知を、自分が知っている「真実」に合わせて歪めておけば、正しいままでいられる。
懐疑
修辞疑問としてのなぜをつい使ってしまう存在
「人間はなぜ疑問を感じるか」
悩むことという強力な解決法という幻想
考え下手とは、思考の中に他者性がないことなのだろう。
「自分の思い」に満ちてしまい、それが循環的になったときに抜け出すことができない。
知の生態系作り(ナレッジ・ビオトープ)
Creating lifeを日本語にするとどうなるか。
思考法について
いかにして考えるか
考えなくてよいことに関する対話
山の頂上に立って知を見渡すような快もあるだろうが、圧倒的な本に自分がうちのめされてしまう快もある。後者はマゾヒスティックなものかもしれないが、しかしたしかにそこにあるものである。どちらが「正しい」快なのか、という問い立ては、そこにある系の複雑さを矮小化してしまうことになるだろう。
実践知とは、構築知であり応用知であり限定知であり流動知である。
安心したい
考えなくないけど、考えたような気持ちになれるコンテンツ。インテリポルノ。
頑張って考えても成果がでないのは、考え方不足
行き当たりばったり
選択と集中
どんな基準で選ぶのか、その基準は適切か
どんな資源を集中させるのか、その選択は適切か
PDCAでも同じ
お題目を唱えておけばうまくいくだろう、という銀の弾丸思考。
抽象と共感
試験官の中の脳は、ずっと夢を見ている
反応の速さに抗える力
イデアとパターン
正解と最適
静的と動的
創造的プロセスにおける反復性について
ルーチン的生活とクリエイティビティー
理解と世界
自分が一番馬鹿にしていたものに答えがあるかもしれない。
思考の律動
間欠的思考
世界の見方を変える芸術
過剰一般化
タイムラインと同じ速度で考えてはいけない。
「考える場所」を増やすこと。あるいは増えること。
原理的に考える
現実はかっこたる存在で有限的、切断的。想像はそうではない
インテリズムから見たときの敵
思考のモード
間欠的集中的
僕たちは考えることが必要で、そのためには、考える力と考える時間と考える場所が必要になる。
普段と違う筋肉の動かし方をする。凝りの解消には。思考の凝りでも同様だろう。
善良かつ人の話を聞かない人
知性と他者
知性と環境
ジェネラルな知からジェネリックな知へ。
自分の頭で考える、について
「当たり前」の感覚と運命との親近性。
当たり前のフィルター
当たり前との関係性
思考の柔軟性が失われ、頭が固くなっている人は、(その性質から言って)そうなっていることを頑なに認めようとしないだろう。
→思考のストレッチ
必要なメタ・信念
とても簡単で難しいこと。自分は圧倒的に正しいと思っているが、もしかしたらそうではないのかもしれない、というメタ・信念を持つこと。そして、それを暴走させないこと。