正解がない疑問に自分なりの答えを出すこと
たとえば「働くこととは何か?」という疑問を持ったときに、あんまり「『資本論』を読もう」とはならないと思うんだけど、やっぱりそういうアプローチの方が遠回りに見えてしっかり整っている道な気がする。
それは別に『資本論』を読めばそこに答えが書いてあるということではなく、自分で考えるための道具やら素材やらがそこで見つけられる(かも)ということだ。
雑学クイズのように辞書を引いてその定義を答えればそれで済むならばともかく、「働くこと」などのように自分の人生に含まれていることについてはやっぱり自分で考えて自分で答えを出していくしかない。たぶん、そういう行いが、「独学」と呼べるものと呼応しているのだろう。 辞書にある定義を参照するのではなく、自分の人生に含まれている言葉の意味は、経験を積み、自分で考えて自分で答えを出しているうちに変わることがある。あるいは、それを変えていくことを「生きる」と呼ぶのかもしれない。意志を持った「生きる」と。
義務教育で必要なことをすべて教えるのは無理があるのだから、ある程度は教えておいてあとは自分で調べて、学んで、考えられる力を与えておくのが有効だろう。『独学大全』が人気なのも、いわゆる資格試験だけに限定されない「学び」の必要性を多くの人が切実に感じているからなのではないか。
「hogehogeの教科書」(という謳い文句のビジネス書)によってあらかじめ決められた「正解」を知るという学びではなく、未知の分野・自分の人生という、画一性によるアプローチが不可な物事に立ち向かうための心構えと方法論。それがやっぱり必要。
旧世代的なものがことごとく機能不全を起こしているのに、ノウハウの伝え方はそれまでと同じで構わない、というのはさすがに無理筋だろう。そういう点から構築しなおしていかなければならない。