結城メルマガYMM375の感想
「私は◯◯大学の関係者ではないので、私にはわかりません。というか、私にご質問した理由がそもそもわかりません」
後半部分に、否定的に受け取れる要素があるのは間違いない。
修辞的というか、間接的にバカにされているように、聞こえなくもない。
強いて言えば「お前何いってんの?」のような。
読書について質問したいと思います。ふだん結城先生はどのような本を読むのでしょうか。数学に限らず学術的なものなのか、小説なのか、あるいはスポーツ漫画なのか。作品名を出していただけると嬉しいのですが、それが難しいのであれば、ジャンルごとのバランス、本の選び方、月に読むペースの三つを教えていただけると嬉しいです。
楽しい質問ではあるが、「読み方」については言及されていない。
「かーそる第三号」を制作しているときにも感じたが、実は「読み方」は人に取ってかなり違う
しかし、本の読み方は他人から見えてこないので、そもそも差異がある、ということに気がつきにくいのかもしれない
結城は、気に入った本を何度も繰り返し読むのが好きです。それから「どんな本でも食わず嫌いせず少しは読むけれど、おもしろく感じない本を無理に通読はしない」ようにしています。
これが「読み方」の話。
理的に考える力を身につけたいと思うのですが、「論理的思考を身につける方法もまた論理的に考えなければならない」という無限ループのようなものに悩まされています。
こういうメタなの大好物。
現実的な論理的思考とは、いったいどのように身につけるものなのでしょうか。そもそも、それは一朝一夕で身につくものでしょうか。
真摯な問い。
「理由付け」が習慣になると、自分の思考がある種のネットワーク状になった体系になっていることに気付きます。自分の経験や学習を既知のノードとし、そこからネットワークのように広がる自分の知的空間があります。中には強固なものもあり、中にはふわふわしたものもある。そんなネットワークのイメージが浮かびます。
これ結構大切なことが書かれている気がする
なぜ理由付けが習慣になると、思考のネットーワーク性に気がつくのか?
「理由付け」は連鎖になります。鎖を繋ぐのは「どうして?」という問いです。何かを考える。「どうして?」と問う。「どうしてかというと○○だから」と答える。「では、それはどうして?」とさらに問う。理由付けはどんどん深めていくことができます。
連鎖:チェイン
知識の樹の体系 —―チェイン,ツリー,ネットワーク
理由付けが習慣になると、ある知識/思考(≒情報)が別の情報とつながっていることに気がつく
A─B
その別の情報も、さらに別の情報とつながっている(かもしれない)
B─C
単にこれだけであれば、チェインが生まれるだけ。
A─B─C
この状態と、ネットワーク状態には乖離がある
論理連鎖(ロジカル・チェイン)だけではネットワークにはならない
一つの情報が、伸ばせる手が最大二つであり、//状況の記述が難しいのでいったん省略
のとき、それはチェインにしかならない
上の否定が、ネットワーク化の鍵
体系的な分類、網状のネットワーク、そこに至るための道とは何か?
体系的な分類は、排他的な属性の列挙、粒度の統一、という情報操作(≒情報生成)がある
これは情報Aに対するチェイン、ではない。
メタ情報のレイヤー
ただし、これをグングン進めていっても、排他的カテゴリーによって分類されている以上、これはネットワークにはならない
では、Aに呼応する情報を同時に二つ思いついたら?
A─B,C
BとCの関係が気になってくる
呼応する情報としてのBを別々の場面で思いついたら?
A─B
C─B
AとCの関係が気になってくる
ある情報が、同時に二つ以上の情報とつながりを持ちうること
そしてそのつながりが広大に広がっていること
こういうことの発見が、ネットワーク性に気がつくということなのかもしれない
要検討
全部がつながっている、という感覚。