現代の「知的生産の技術」の課題
◇(時代の栞)「知的生産の技術」 1969年刊・梅棹忠夫 知識の海で個人は:朝日新聞デジタル
ブームから51年。情報社会はめまぐるしく進み、関連本のヒットも相次いだ。だが『知的生産の技術』は今も大学の教科書に使われ、社会人にも読まれて100刷、145万部に達する。岩波新書の歴代4位の数字だ。 なんだかんだいって、『思考の整理学』と『知的生産の技術』を超える「入門書」は生まれていない。ここまで包括的なタイトルの本が、出版業界で許容されないという面もあるのかもしれない。あるいはもっと別の問題があるのか。 →現代的な知的生産の技術の入門書の不在
来月、梅棹は没後10年を迎える。残した膨大な資料の整理保存にあたる国立民族学博物館の飯田卓教授は、この本が読み継がれる理由を、内容の幅広さとともに、誰にもまねできると思わせる機能性と開放性にみる。「それこそが梅棹的な思想です」
→現代的な知的生産の技術を受け止めるツールの不在(あるいは周知不足)
もっとも、当時、梅棹が希望もこめ予測した情報社会は曲がり角に立っている。伝達手段の増加と多様化の一方、画一化も指摘される。フェイクニュースの背景に知的劣化を案じる声もある。
現代的な知的生産の技術の問題・課題
この問題は情報社会論で論じる必要がある。というか、情報社会論と知的生産の技術論は別個には語れない話ではある。