思考の傾向
情報に接したときの反応の傾向
人によって差異はあるように思う
もちろん毎回同じということはないだろうし、反応も一種類だけではなく複数があり、どれが強く前に出るか、という違いなのだろうと推測する。
もともとのtweet(スレッドあり)
たぶん一つの情報に接したときに、連想的(兄弟項目を見出す)なのか分析的(子・孫項目を見出す)なのかという認知的な傾向の違いというのがあって、それがフィットする知的生産(情報整理)ツールの違いとして表出するのではないか仮説。 あと、メタ的(親項目を見出す)というのもあるか。
凄い納得感ある。広げて考えてみたい〜〜。
その「広げて考える」に、まずどのアプローチから入るのかが、メタ的に気になりますw
思考の癖ですよね。 とりあえず上に行きます(上位概念化)。これって結局なんだろうとつい考えるので。 これってメタ的なんですかね?? ツールは使わず頭の中です。
メタ的、あるいはメタ寄りだと思います。
なぜ?
先ほどのツイートでポイントをピックするなら、「これってなんだろう」ではなく「これって結局なんだろう」というのがメタ的だと思います。「これは何か?」という問いは、「これは何によって構成されているか」という問いを含みつつも、「これは何に所属するのか」という問いでもあり、(続く
そのどちらに比重があるかでメタかどうかは変わってきますが、「結局」という言葉が示唆するのは、所属先の解明ということだと思います。その辺がメタだな、と。ちなみに、他にどんな癖があるだろうかと最初に考えるなら連想的ですね。
結局、一言で言えば、要するに、肝は、何か?ですからね。。 他に何かあるか考えるのは、結局の結論が出てからです。
ちなみに最初(おおもと)のツイートではわざと修正せずに残したんですが、僕は二つ項目があったら、「他に何かないか?」というのが結構最初の方に思い浮かびます。
あ、そうだろうな、と思ってました。書かれる文章とか、それこそこういうツールが欲しいというところから見えます。そして、倉下さんの欲しいというツールはわたしにはまったく思いつかなくて(必要性がよく分からなくて)面白いです。
僕の場合は、関連しそうな(関連する、ではなく)を並べながら、そこにある本質が本当に本質と呼びうるのかをあぶり出しているようなところがあるかもしれません。「結局」を先に確定させないで半固定させておくというか。
こういう脳の中の話は言葉にしないとまず見えてこないので対話が楽しいです。
あー、半固定というの分かります。で、私の場合、その並べて半固定するのを頭の外ですることが苦手なんです。外に出す・文字に書くって「固定」なので、そこで半固定のままに取り扱うことができない。
ついでに言うと、「思考の癖ですよね」という言い換えが発生するのは、中身(≒本質)の把握→類例の検索、なので連想的ですが、これは一階階段を上にあがらないとできない気がします。
さっき書いたのと被りますが、まさにそうです。瞬間で上に行って下に降りて横に展開します。
その思考のアプローチの順番というのが人によって違うのだろうな、と。
ですね。Tak.さんの本とか記事とか読んでいるとアプローチの違いが出てて面白いな、とか思います。