学び合いが生まれるかどうか
『独学大全』はもちろんひとりでの学び方なわけだが、むしろ『独学大全』を通じて、ひとりで学ぶ人たちが可視化されゆるやかなつながりが生まれようとしている。で、おそらく大切なのはそこからで、「学ぶ」が「学び合い」になるとき、これまでになかったものが生まれるのではないか。 逆に、あらゆる意味で「ひとり」で学びました、で終わっているのは少々もったいないというかつまらないと思う。言い換えれば、学ぶことを通して「語り合い」が誘発されたら、とても素晴らしいことだと思う。
蓄えたものをどう使うか。いや、違うな。蓄えた自分をどう活かすのか。役立てるとか実利といったことではなく、他者との関係性を新しく作っていくこと。そういう道筋が、実は今の日本ではあまり提示されていないように思う。
語りたいのは、デミちゃんだけではないのだ。
他の誰かと語り合える・話し合える・対話できる、というのはそれだけで楽しいし、嬉しいし、面白いものである。逆にそれができないと困惑するし、イライラもしてしまう。
しかし、困惑を回避するための「円滑な」コミュニケーションが目的ではなく、自分が考えを述べ、相手が考えを述べ、そこから何かを見出していくこと。ときに対立があろうとも、すぐに諦めずに、その当りをうろちょろして可能な入り口を(できれば階段を)探そうとすること。そういうやり取り。
そのように考えると、単に個人をエンハンスすることだけをフォーカスしていたのではやっぱり足りないことになる。個人とそこから生まれる関係性も視野にいれて考える必要がある。