何者かになりたい気持ちだけが強くて、具体的に何になりたいのか、ビジョンや武器をもっていない状況はなぜ生まれるのか
“カモになりやすいのは、「何者かになりたい」気持ちだけ強くて、具体的に何になりたいのか、ビジョンや武器を持っていない人たちなんです。”
"しかし80プペルの彼もそうですが、「何か変えたい変わりたい、でも何をどうすればいいか、どうしたいのか分からない」という人はたくさんいます。"
"そんな人たちにとって、社会的肩書があり、人脈もお金もたくさん持っている大人は「凄い人」に見えるんですね。
人脈やお金を多く持っている人間は、大体が「人と違う行動」をしてステータスを得ています。
その行動が善か悪かは置いといて。"
なぜ、"「何者かになりたい」気持ちだけ強くて、具体的に何になりたいのか、ビジョンや武器を持っていない"状況が生まれるのだろうか。
一つには「何者かにならければいけない(生の価値がない)」という社会的な(文化的な)要請だろう。いわばmobの軽視。mobはヒーローに守られるだけの存在であり、スポットライトが当たらないばかりかお荷物ですらある、というような感覚。
これは、漫画などのなかで「ヒーロー」の存在がどんどん大衆的になってきてることとも呼応するだろう(たとえばヒロアカと初代仮面ライダーを比較してみるとわかる)。
ヒロアカと仮面ライダーの違い
ヒロアカとワンパンマンの違い
若者が夢を持つことを要請するのは、どのような世界観によってだろうか。夢を持てなかった人たちの代替的な希望として、あるいは夢が(社会に対して)何か大きな成果をもたらすから、はたまた人の生を充実させる一つの(重要な)契機として。
「何者かにならなければならない」という感覚は、若者は「夢」を持つべきという要請(要求)とも無縁ではないだろう。その場合の「夢」はたいてい職業的・社会的成功として表現することを求められる。つまり「何者かになる」ことだ。