ブックカタリストBC108用メモ
取り上げる本
7つの対談をまとめた対談集
一つの集中的なテーマについて語る本ではない。
いろいろな話題を探索することで、周辺的に「学び」を眺めていく
はじめに────鳥羽和久(書き下ろし)
「学び」という言葉に感じるうさん臭さ
大人は子供に「勉強せよ」と言うが、しかし自身にはどうか?
「勉強」の評判は悪い
学習指導要領「主体的・対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング)を取り入れた探究学習
暗記偏重の「勉強」よりも、「自分で未来・社会を切り開いていくための資質・能力を育む」ための「学び」こそが必要という方向転換
基礎知識不在の探究?
小学生の哲学対話
子どもたちがそこで身につけているのは、個性と呼ばれるような独特さとは無縁な、より高度な協調性と規範性でした。
新しい教育の試み
「新しさ」という甘い蜜
アクティブ・ラーニングはかえって学力格差を拡げる懸念
杓子定規な学力的評価を捨てた上での振り切った改革ではない
「学力評価」の価値観をそのままに、基礎力をないがしろにする
本来の「学び」を自らの手に取り戻すためには、何が必要か?
「学び」の現代にいる人たちに話を聞きに行く
それぞれは「学び」に対するスタンスに大きな違いがあるが、自身が熱心な「学び手」であり、「学び」の渦に巻き込まれ続ける人たち
「勉強」には向き不向きがある
受験をはじめとするコンペディションの環境での得意さは間違いなくある
競争原理に基づく勉強は、それが得意な人にとって気持ちがよいこと
でも、勉強嫌いの子どもにこそ明るく前を向いて勉強してもらいたいという願い
第1章 何のために勉強するのか────千葉雅也
「勉強」のイメージ
資格を取って有利になる、ビジネスで活かす、活躍する。そういう実用性で考えがちだが、そうではない
来るべきバカになる
自分をまったく別様に変えてしまう。恐ろしくも快楽的なこと
方法に工夫しつつも、粘り強い努力が大切
「勉強なんてくだらない」はカッコつけで、鵜呑みにしないほうがいい
学習過程で身につけてきたもの、身体的鍛練を忘れているかもしれない
地道に手を動かす時間なしには、学びが実っていくわけがない
反復的な学習の重要性→勉強を効率化、簡略化することなんて土台無理な話
暗記トレーニングを通じて「脳の器が大きくなった」ような実感がある
あらゆる情報を覚えていないと、スムーズに会話ができない
発想も同じ
自分だけのビッグデータを持つ
インターネットと歴史
インターネットは歴史を崩壊させた
歴史は「意味づけされた積み重ね」、すべてがフラットになるとそれが消える
あらゆる情報が等価になると、資本主義は活性化する
「人生が、積み重ねや発酵というイメージから乖離する」→ニヒリズムが蔓延する「なんでもあり」になると必然性がなくなるから
しかし、ある低度の規定が前提にあったうえで、それを踏まえて主体的に決定を変えていく、それが人間のあり方ではないだろうか
自由について
称賛されている自由とその実体
むしろ規範性を示すことで、そこからの反発があるかも
晩餐のような勉強
アテンション・エコノミー、可処分時間の奪い合い
だからこそ自分の時間をいかに確保するのかが大切→勉強することが抵抗になる
時間がかかることは、贅沢なことだと考える
大人が生涯学習的なものとして勉強をやり直す際には、楽しくて贅沢な時間として捉えることが大切
第2章 リズムに共振する学校────矢野利裕(やのとしひろ)/批評家・DJ・中高教諭
塾には無駄がない
学校教育の三つの水準
内容の水準
テクニック
身体的な交流
他者とぶつからずに済むフォーマットを先に導入してしまうこと
国語の教員的には、内的に葛藤したり友だちと衝突したりしながら言葉を獲得していくという一連のプロセスが大事だと思っています。自分の内面を言葉として整理しておく経験がないと、心の渦が一気に噴出して、ある日突然、不登校や家出、暴力行為といった形で表に出てくることがあるからです。
第3章 家庭の学びは「観察」から────古賀及子/エッセイスト
家庭こそが第一の学びの場
学びには、メタ──俯瞰して客観的に見ることが土台にある
感想禁止という日記の書きかた
出来事を淡々と描写していくなかで、自分にありあわせの感想を求めてしまう思考から脱却して、自分の知りえないところにすでに浮かんでいる思いをメタに観察できるようになる
「感想を持つこと」を避けた結果としてそうなった
学校ではよく感想文を書かされる
「苦しかった」「大変だった」「悔しかった」「でも学びがあった」
そのような様式にそった作文は、実は観察から人を遠ざけている
「思う」と「気づく」は違う
「思う」は感情の世界、リアクションしているだけ
観察すると、リアクションに至るまでの道筋がわかるようになる
「気づく」とき、人は比喩的になる
役割と生きること
子どもがユニークなことをしたときにメモを取る母親
観察は裏切らない
鳥羽 その点、観察は裏切りません。他人を詮索しないし、カテゴライズもしない。
他人を利用せずに済む(他者である自分も含めて)
第4章 世界が変わって見える授業を────井本陽久(いもとはるひさ)/いもいも教室代表主宰、栄光学園数学科教師
学校の勉強には意味がない
井本 求められたことを「できる」ようにする勉強って、どんなにマジメにやっても、求められた以上のところまでは踏み込もうとしないんですよ。受験勉強が典型ですよね。でも実際には、求められていないのに気になって踏み込んでしまうところから自分を拠り所にした学びが始まる。
井本 そうか。確かに自分の興味のことを学ぶうえでは有用な面もあるとは思います。でも問題なのは、学校では「できる/できない」で評価するというところです。「できる」ことが評価されるのであれば、子どもたちは評価されたいので「できよう」とします。すると、自分のやり方、考え方でやるのは損だと思うようになります。なぜなら、自分のやり方でやるとは試行錯誤、つまり何度も失敗することを前提にしているからです。
井本 学んだ解法に沿って正解を導くのではなく、いまある自分の手持ちでなんとかする。そうして自分なりの道をたどっていくなかで、気づかぬうちにいろんなことが身についていく。それこそが本当の学びだし、勉強としても楽しい!
子どもたちを、ぷるっとさせたい
「いもいもは自分の知らない自分と出会わせてくれる教室なんだ」
「本当の自分」
心の中に閉じ込めていた自分、自分でも忘れていた自分が誰かに受け入れられた瞬間
正解ではなくプロセス
井本「正解」を出すためには自分を消さなきゃいけない。でも、本当に大事なのは考えるプロセスです。プロセスにこそ、自分自身がある。子どもたちは、誤答であっても、それが他の子たちの心を動かせれば嬉しい。僕はその瞬間のためだったら、いくらでも準備をがんばることができる。
「学び」というのは、これまでなんとも思っていなかったそのまったく同じものが、あるきっかけで全然違って見えるようになるということです。
受験に対するスタンス
「本気だけど半笑いで」
井本 ハウツーを使って頭でわかった気になっても、実際にやってみると全然思うようにいかない。試行錯誤のプロセス抜きに人は学べないんです。
プロフィール
ずっと中学校で国語教師をやっていて、65歳から風越学園に
学生時代から大村はま国語教室に学び続ける
大村はま『教えるということ』
言葉を探すプロセス。そして物語が生まれる。
鳥羽 それは、時間という厚みのなかで、自分が確かに育まれてきたという他に変えがたい感覚です。
ちょっと変わっている人
「これまでつくり上げてきた枠組みが全部、壊されるじゃないか」
教師の仕事は、子どもを知ること、子どもを知るためには「本当の言葉が生まれる教室」が必要
子どもたちが安心して発言できる環境こそが、理想的な教室
「子どもたちを知る」ことと「子どもたちに教える」ことの近さ
テストのときですら
甲斐 ええ。なぜなら、テストのときでさえ力がつくようにしたかったからです。
言葉が、世界を拡げ、思考を豊かにする
甲斐 子どもが発言したら、「つまり?」と聞く。「それを別の言葉で言うと?」とさらに聞くと、どんどん違う言葉が出てきます。自分の言葉に、自分の言葉を重ねていくことで、「自分はこんなことを考えていたのか!」と発見できたりします。
どう思っていますか?と聞くのはちょっと品がないですね by 大村はま
直接問うのではなく、いつのまにか子どもが自分自身で考えてしまうような言葉を添えてあげる。それが大事だと思います。
「根底には」「そもそも」
人物論を書くときに、「根底には」という言葉を使うようにする
「よく考える」や「深く掘り下げて」と指示するのではなく
勉強し続けることは、変わり続けること
変わることを恐れない
鳥羽 子どもかかわる大人は、どうしても変わり続けることが必要だと思うのです。
言葉を失うこと
甲斐 そうそう。すらすら喋れるうちは本当の学びはできていない、言葉を失ったときこそ勉強が始まっている、と千葉さんは言うんですね。
鳥羽 「本当の言葉が生まれる教室」には、言葉が生まれる前に「言葉にならない時間」があるのですね。
「そつたんとはなんあるか」
初回の授業で「そつたんとは、○○である」という定義を考えようとした
「全力を尽くすものである」「三年間の集大成である」
ポジティブなことを言おうと、誰でもいえる言葉を使ってしまう
「そつたんとは、○○ではない」とする
「○○のようなもの」「○○かもしれない」
そこから返ってくる
「そつたんとは、TikTokであり、本でもある」
子どもは感謝しない生き物だから尊い by 鳥羽
鳥羽 なぜかというと、彼らは「いま」を生きているから。感謝は「過去──現在──未来」という時間性を意識したところに初めて生じる感情です。
第6章 からだが作り変えられる学び────平倉圭/ 芸術学 ニュージーランドのヴィクトリア大学ウェリントン
ニュージーランドの公立校
一つの教室に、先生が2,3人
すべては予算の問題
『かたちは思考する』
「かたちはすでに思考しているのだから、その瞬間に目を凝らせ」
キリスト教における罪の告白
鳥羽 反省は言動だけでなく内面にまで及びます。
罪深い自己の自覚
平倉 人間は言葉だけで考えるわけではありません。造形そのもののなかで働く非言語的な思考があります。
言葉の獲得と、言葉の縮減化
言葉の獲得のどの段階にいるのかで違う
概念化
平倉 だから私は授業で「概念化」を重視しています。芸術作品に巻き込まれながら経験した非言語的思考を、藤生場運でも言葉にしてみる。絵のなかでからだが見つけたパターンに、一つの名前を与えてみる。そうすることで、自分のからだがつかまえた一度きりの特殊な感覚が、何度も思いだすことができ、他者と共有するものに変わるんです。
言葉の魔術的な力
言葉には極端な共有性がある
他人が「痛い」と言えば、「痛い」ことがわかる
あたかも自分の考えでアあるかのように飛び込んでくる
音だから遠隔で飛び込んでくる
平倉 「なんで〜なの!」「〜しなさい!」。耳から飛び込んでくる言葉が、相手の心を支配して、相手のからだを動かす。これはやはり驚異的なことです。言葉は個々のからだの独立性を飛び越えて、相手の思考を乗っ取る魔術的な力を持っています。魔術という言い方がしっくり来なければ、感染力が強いと言ってもいい。
第7章 子どもの心からアプローチする────尾久守侑(おぎゅうかみゆ)/精神科医、詩人
芯がないなりに複数の軸を持っている
擬態と憑依
あの作家のような文体で書こうと設定してからはじめると、かえって固有のものが書ける
何歳になっても覚醒できる
尾久 でも周りを見ていると、学生時代に勉強をしてこなくても、何歳になっても勉強で覚醒することはできるんだなということはわかります。覚醒というのは、つまり自分が通ってきた道を再開通させること。自分らしく生きるという感じです。仕事に就いたけれど失敗した、でもその後で学びに向かう。それでも間に合うんだなということでしょうか。
スキルアップだけが学びではない
鳥羽 なぜなら学びというのは、仕事に役立つスキルを身につけることだけじゃないから。学びとは、自分の欲望の所在を明らかにしつつ、その風通しをよくするような行為だと思うんです。
例えば、子どもの頃に夢中になったことや、一生懸命勉強していたもののなかには、すでに深い勉強につながるヒントはあるから、そこを振り返って、改めて開通させてみたらいいのでしょうね。
第1章 何のために勉強するのか────千葉雅也
第2章 リズムに共振する学校────矢野利裕
第3章 家庭の学びは「観察」から────古賀及子
第4章 世界が変わって見える授業を────井本陽久
第5章 「言葉」が生まれる教室────甲斐利恵子
第6章 からだが作り変えられる学び────平倉圭
第7章 子どもの心からアプローチする────尾久守侑
おわりに────鳥羽和久(書き下ろし)
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