ハイパーテキスト論を再考する
吉田寛さんのツイッター(@H_YOSHIDA_1973)より
1990年代の「ハイパーテクスト論」を(文脈を含めて)「再発掘」すべきと考えています。というのも当時ハイパーテキストは、現代思想やポストモダン思想(バルト、デリダ)と最新のコンピュータメディアの結節点と考えられていたからです。ゲーム研究がナラトロジーから出発したのも当然のことでした。
1990年代のハイパーテキスト論は、1990年代末にルドロジー(ゲーム研究の起源)が登場するための重要な文脈や素地になりました。当時にあって「ゲーム(的なもの)」と「文学」の距離は(現在われわれが想像するよりも)はるかに近いものでした。
この問題を論じるには、あきらかに私よりも適任者がいる(当時者が今も現役で仕事をしている)のですが、誰もやらないので、仕方がなく私が(きわめて不十分ながら)代わりにやらざるをえないかたちです。本来なら比較文学や文学理論の人達にやってほしい仕事です。
https://x.com/H_YOSHIDA_1973/status/1794994214696259627
ジャック・デリダやロラン・バルトの考え方を現代のコンピュータ・メディアを考える視点として採用する。
『現代思想入門 (講談社現代新書)』
『思考のエンジン』
ポストモダン思想
脱構築
作者の死
ツリーとネットワーク
『訂正可能性の哲学 (ゲンロン叢書)』におけるネットワーク論考
ハイパーテクストとは
脱文脈としてのハイパーテキスト(リンク)