アウトライナーかアトミックノートか問題
議論の流れ
今の感覚で考えると、アウトライナーが合う人 or アトミックノートが合う人、という対立の構造はしっくり来ない
実際、うちあわせCast内でも倉下はアウトライナーとスクラップボックスという対比にスライドして考えを進めている。
まず、片方はツールであり、もう片方が技法であるという点に注目する。単位がズレている。
アウトライナーでアトミックなノートを作ることもできる
Cosenseでも、このページのようにリニアに複数のものが書き並ぶページが作れる
ツールとフォーマット(書き方)あるいはスタイル(様式)との区別は必要だろう
アウトライナーが合う人合わない人という見方は可能だし有効。
アトミックノートは必要な人かそうでない人、訓練が足りている人、そうでない人という区分けができる。
その上で、アトミックノートで書くのは訓練が必要なことという認識が大切だ。
また、そうした書き方をした後で何か求めているものがある、ということ。
合う合わないももちろんあるが、それ以上に必要かどうかという点もある
うちあわせCastで話していたときはまだ概念の整理が十分にできていなかった
テーゼ:「何の訓練も意識もなく書くと、人はアトミックには書かない。時系列でリニアなものになる」
アトミックに書くためには、訓練が必要。
アトミックに書くためには、意識が必要。
アトミックに書くことで、得られる結果がある。それが必要ならばなんであれアトミックに書いた方がいい
時系列でリニアなものが、そのまま並んでいても構わない人がいる
そのまま並んでいるだけでは足りない人がいる
この人にとってアウトライナーは救世主のようなツールである
そのまま並んでいても構わない人は普通のテキストエディタを含めて、多様なライティングツールが選択肢に入ってくる
普段から職業的訓練として脱文脈的に物事を考えている人は、むしろアトミックにノートをとる方が自然だろうとは思う
とりあえず「アトミック」という概念がまだ粗いので、別の視点からも考えたい。