『みんな政治でバカになる』
丸山の"亜インテリ"が再フォーカスされている。で、亜インテリが問題なのだとして、どうすればそこにはまり込まないで済むだろうかが課題となる。「もっと勉強しましょう」という単純な啓蒙では足りないことは容易に推測がつく。
では、「社会的成功」をチラつかせて勉強に導線をつけるのはどうか。狡猾なやり方だが、たぶんうまくはいかない。「他者」を軽んじている段階で、あのユーチューバーみたいなことになることは避けがたい。でもってそれは"インテリ"にも潜む問題だろう。
だとしたら、どうか。本書の「あとがき」で紹介されているエピソードがヒントになる。自分を他者に晒すことで、自己破壊的な(マゾヒステリックな)快楽を得ること。その道行きの中であれば、知識の獲得と他者への尊厳(肯定)が並立する。
キャッチーに言えば「生活するインテリ」が一番強いわけだが、ある種の享楽として構築的(コレクション的)ではなく、自己変容的に「学んでいく」ことが称揚されればよいのではないか。
/icons/hr.icon
「みんな政治でバカになる」なわけで、特定の層を攻撃するような狭い議論ではないと思うのだけども。むしろそのように読んでしまう心性は、逆に読み手の何かを語っているのではないか。
しかもその「バカ」は、ある限定的な局面における"不合理性"や"蒙昧さ"の発露であって、人間性全体に刻印されているわけでもない(だから、バカ「になる」のだ)。
書いた書評記事
参考文献
はじめに
『「バカ」の研究』
『自分では気づかない、ココロの盲点』
『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』
『ブループリント』
『専門知は、もういらないのか』
『民主主義と政治的無知』
https://gyazo.com/89eaa506fada07720a3bacb12bb3466c