『「無為」の技法』
『エフォートレスな行動で、能力を最大化する 「無為」の技法 Not Doing』
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◎VUCAの世界で、観察力を磨き、最適に順応する
猛烈なスピードで、しかも複雑に変化が進む現代社会において、
「忙しいこと」「たくさん行動すること」は称賛されがちである。
毎日、現代人に押し寄せるのは、終わりのない「多忙」である。
みな、疲弊しつつも、もっと早く、もっと多く対応できるように切磋琢磨する。
しかし、「多忙」であることは「効果的」であることを意味するわけではない。
しかも、そんな日々を続けていては、やがて疲労困憊し、燃え尽きてしまう。
本書では、イギリスでマネジメントブック金賞に輝いた
『「無知」の技法 Not Knowing』の著者2人が、
「する Doing」という行為の限界と危険性に着目し、
無為(Not Doing)について考察を深め、
現代の多忙さに、しなやかにサステナブルに対峙する方法を検証する。
目の前のタスクに対して、すぐに行動するのではなく、
一時停止し、よく観察し、間を置くことで得られる知見を活用する。
未来が予測困難なVUCAの時代に、
より賢く行動するためには最適なアプローチだ。
ドラッカーもかつて指摘した。
「本来しなくてもいいものを効率よく行うことほど無駄なことはない」
「しない」ことにより、より行動の意味を深める
新しい行動変革に迫る。
『「無為」の技法 Not Doing』(スティーブン・デスーザ)
エフォートレス【effortless】
[形動]努力を必要としない。無理のない。肩肘張らない。「エフォートレスなファッション」
「しないこと」(not doing)。原題もNot doing。
Part1は、「しない(Not Doing)」という選択
Chap1は「流れに任せる」
>しないというのは、物事をやりこなす方法を狭い視野で見ないための防御手段だ。押すことでもなければ引くことでもない。逆らわず、ゆだねて、ともに歩いてみる。そうすることで力みがとれ、自分がかかわっている状況に対して意識が開く。<<
まさに「無為」ということ。
ジグムント・バウマン「液状化した現代(リキッド・モダニティ)
Part2は、「やみくもな行動の機能障害」
Chap2は、「しなければ」という執着。バイアスforアクション。行動しないよりも、した方がよさそうに思えてしまう傾向。コントロール欲求について。
chap.3「行動する理由」。人はなぜ行動偏重主義に陥ってしまうのか。スマントラ・ゴシャールの「多忙ばかシンドローム」(ビジー・フール・シンドローム)。行動が評価される企業にいたら、行動ばかりをとってしまう。あるいは、労働は美徳という改変されたキリスト教的価値観(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)。成長の神話。与えられた役割と責任への固執(ステイタスの不安)。無価値の存在になることへの不安。FOMO(fear of missing out)。「今を生きること」=「今という時間を完全に充実させるためにいろいろなことをすること」という資本主義的解釈。高すぎる理想とセルフイメージを重ねた完璧主義の弊害。 必要なのは、ネガティブ・ケイパビリティと、ポジティブ・ケイパビリティの両方であるが、現代では、あまりにポジティブ・ケイパビリティが重視されすぎていると、著者の指摘。
>孤独とは、いつも担っている役割や期待の制約を離れて、空間と自由を作り出すことだ。
『新しい集団思考』スーザン・ケイン
「自分自身の声が聞こえていれば、他人の人生に対する意識も芽生える」 ウェンデル・ベリー
私たちは活動すること、物事をこなしていくこと、信仰を掌握していることに重点を置きすぎている。
忙しく活動していれば、待つしかないときの落ち着かない気持ちとは無縁でいられるだろう。
ネガティブ・ケイパビリティとしての待つ力は、だらけることでも、手抜きすることでもない。むしろ生を実感し生産性を高めることだ。
時間の価値を変化させる、でもどうやって?rashita.icon
私たちは、行動をするほうへ強く偏ったバイアスを持つせいで、コンテキストや試練を深く理解するにあたって必須の情報を聞き逃す。
組織文化を変えていくにあたって最大のリスク要因は、「耳を傾けず、内省せず、十分な理解もせずに導こうとすること」だ。
市民リテラシー
自己認識(セルフウェアネス)
傾聴(ディープリスニング)
ダディリ:心の内側で深く聞くこと、そして、静かにじっと意識していること
「対話」「目標設定」「思考の醸成」の三プロセス
解決しようとせず、意見しようとせず、結果をコントロールしようとせず、ただ本質を聞き取ろうとする力……。
「退屈」は、行動と行動のあいまの状態だ。
スコット・フィッツジェラルド 「濾過器で濾すように、澄んだ作品が生まれてくる前にはまず退屈を通る、もしくは通さなければならない」とエッセイで書いた。
物書きの目の前にある白紙のページにのように、退屈には、絶大な可能性がある。何も生まない。何も起きないという状態が自分の中を通過していくうちに、ふと、新しい発想や想像が湧いてくる。
アクションから切り離された時間と空間を脳に与えてみれば、アイデアが生成されるスペースになるのだ。無意識の奥底に沈んでいる考えが、ノイズを濾過して意識の水面に浮上してくる。太刀打ちできないと感じる問題にも手掛かりが見つかるかもしれない。
オーバーワークになっているとき、活動しすぎでストレスを感じているとき、あるいは新しいプロジェクトのために斬新なアイデアを探しているときに、必要なのはきっとささやかな退屈だ。公園のベンチに座って何もしないでいるのもいいだろう――ただ休むのではなく、退屈を招き入れるのだ。
さまざまな役割から解放される聖域が必要。rashita.icon
レビューを実施しているときの「私」の役割とは何か?
レビューは義務ではない。ほっとひといきつけるような行為でないならやらない方がマシ。
chap.5 状況の中で決定を即断するのではなく、少し落ち着き、情報を集めてから決断すること。「状況のダイナミクスから自分を切り離して」という表現が面白かった。あるいは「バルコニーに出る」。これは『コンサルタントの道具箱』っぽい表現だ。 chap.6は、結果に注目するあまり過程を疎かにすること。結果、結果を手にすることからも外れてしまうこと。