2025/6/10
近畿は梅雨入り?
『劇場版 マーダー★ミステリー探偵・斑目瑞男の事件簿 鬼灯村伝説 呪いの血』をDVDで観た
ミステリとしてどうこうという作品ではなかった
改めて考えをまとめて行きたいですが、イメージとしては体系化よりも地図のように、同一平面でそれぞれの分野や街区に自分なりの考えが配置されている感じがおもしろそうです。
こういうイメージって大切
「生活について区」「仕事・働くことについて区」「学ぶこと遊ぶこと区」といった区分が思い浮かぶ
そういう区分を考えること自体が、思考の整理になる
「整理の思考」それ自体が思考であるというテーゼをひっぱりだそうとしたが、よくよく考えると「思考の整理」それ自体が思考である、の方が適切なんじゃないかという気がしてきた。
★索引と地図
という話を以前どこかでした(あるいは読んだ)気がする
要約:目次は情報の全体像を示す地図であり、索引は必要な情報へのショートカットを提供する役割を果たす。索引作りはガイドブック作りのように、個々の文脈に応じた情報アクセスを考慮する必要がある。
思考のインデックスは、思考の地図でもある(あるいは、同一のおおもとに対する異なる表現である)
むしろ、見つけた記事は「そうではない」という内容だった
思い出した。地図的なものも、地図とガイドブックのように二種に分けられるという話だった。
上に出てくるのは、ガイドブック的なイメージが近いのかもしれない(もちろん、それも地図の一種ではある)。
Cosenseだと平面配置は難しい
表組みを使うか
mermaidを使うか
画像を貼るか
その中での発見や理解は個別のページとして1枚1パラグラフで書くという方針で書いていく。
まさにこういう感じを今イメージしてる。
一つのプロジェクトの二つのもの(情報系)があるイメージ。
一つは名詞的な、独立的な、wiki的なページがリンクでネットワークを形成している。
もう一つは、デイリーなどの中でさまざまな著述が展開している。
紙のイメージに惹きつければ、辞書と日記がそれぞれにあり、それぞれの内側でリンクがつながっているが、それぞれ同士もまたリンクでつながっている。
こういうイメージ。
https://gyazo.com/3ae7020ca0a6aced6ab5f5438ca69a7e
あくまで「日記」的であり、「辞書」的である点には注意。
もうちょっとカタカナ語でかっちょよくリメイクすることもできる
辞書はナレッジベースと呼ぶと格好良い
日記はどうだろうか。思考ログとかかな。思索ログ?思索ロギング?随想記。
あと、これ以外の要素も十分にありえる
このイメージだと、日記的なものを別のツールに変更することもできる。
もう一つ考えたいのが、辞書的なカードをつらねて思考を重ねていくのではなく、モンテーニュのようにエッセイを書きつづるタイプの方策。
そういうエッセイを書くために、カードの蓄積(コモンプレイスブックはこの役割)をしていた、ということがあり、この関係も考慮したい。
随筆的思考、とでも呼ぼうか。
豆随筆という言葉を見かけたような気がする。
豆エッセイだった。
ある意味で(というかむしろド直球に)これはR-styleのようなブログが担っている役割でもある
つまり、そういうエッセイは日記の一部として捉えるか、それとも「日記」「辞書」にもう一つ新しい要素を加えるか。
★日ごとノートは、インボックスではない
その「処理」は、他の場所に要素を動かすことではなく、ここに書かれたものから整理された内容を別途起こすことである。
こうやってリンクを織り込みながら書いていくことで、この場所が思考の結節点となる。 以前も考えたな。思考のるつぼ。交差点。潮目。
WWDCがあったらしい
ジャーナルがMacに登場する
spotlightでクリップボードの履歴が参照できる
あたりが興味あり
なにがコントローラブルなのかを知ること。
自分において、何がコントローラブルなのかを知ること
「無理なものは、無理」という一見するとトートロジーな発言の意義は、何が無理で、何が無理でないのかを見極めることにつながる
「一日を思い通りにすごす」というとき、その思いが内包するイメージがコントローラブルなものを越えているならば、絶対に実現しないし不全感を高めてしまう。
「100%思い通りにはいかないけども、この部分だけならばある程度制御できる」という部分に注力していくこと。
これが正統な自己啓発であり、ライフハックの精神でもある。