2025/4/25
本日は金曜日
ブックカタリストのオンライン読書会が夜からある
https://gyazo.com/986f3aaa52eb5d0f7660a2c9914d62e9
嘆くよりも、分析する。
指針=>日ごとノートの処理を一通り終えたら、ハッシュタグをつけてinfoboxを適用する
infoboxはそれぞれの日の俯瞰を目指す
特定の項目を「すべて」あげるのではなく、「一つ」あげてもらうようにする。
でないと俯瞰にならない→地図の縮尺を挙げると、細かい地名は見えなくなる
名言、指針、出来事、dig、夕食のレシピ、が現状の項目
科学の特性は確実さにあるのではなく、開かれ具合にある。(反証可能性はその一つ)
https://gyazo.com/8b73baab2b47fed3168a789038729996
folder
notes
links
task
task
執筆環境の改訂についての覚え書き
VS Codeのファイルエクスプローラーに不満がある(使い勝手がよいとは思えない)
のらてつさんのObsidianのプラグインの発想は面白かった
自分もObsidian、VS Code、Textboxで何かできないか
プロトタイプとしてObsidianで環境設定してみる
https://gyazo.com/01fbf9073d44d9106e7231f00d63a021
3つのウィンドウを使う
project index
Obsidian上ではこれがメインウィンドウ
main editor
ポップアップウィンドウ
memo space
同じくポップアップウィンドウ
同じことをTextboxでやろうとするならば、最低限マルチウィンドウが必須になる
ちょこっと内容を開くミニウィンドウを開くとかではなく、普通にマルチウィンドウが必要
現在の実装では面倒なことが多々あるが、いよいよ本格的に検討した方がいいかもしれない
Textbox 2.0計画だな。
単なる失敗というよりも、ある種の苦悩が語られている。
神経症的な気質が強いと弊害もある?
ビッグファイブと知的生産の技術、という観点がありえそう
脳をそこに再構築しようとする試みは頓挫する(仮に第二の脳という言葉に意味があるにせよ、それは第一の脳のバックアップをそこに取ることを意味しているわけではない)
全体像を切望していたがそれが得られなかったという記述がある
これはルーマンが、ツェッテルカステンで「議論」を展開していたという点が抜け落ちた状態で運用されているからだろう。
この点が、zettelkastenを紹介する多くの記事がやっている誤謬の一つ
ズームインされすぎているという記述からもそれがうかがえる
要素を集め、それをリンクでつないだらハッピーだよね、というのがルーマンの方法ではないという当たり前の話を再確認する必要がある
むしろそれはMemexに近い思想
おそらく「structure notes, or maps of content,」というコンセプトがzettelkasten全体をゆがめてしまったのだろう。ルーマンはカード全体を使って、structure を構成していた。それこそが目的であり、個々のノートはそのための部品でしかない。一つのノートに注意を集めれば集めるほど、見失うものが出てくるのは当然。
この世界で私たちが扱うものは、原子で構成されているかもしれないが、私たちは原子と対峙しているわけではない。
ルーマンが部分に注目しすぎて全体を見据えていなかったなんてことはないわけで(でなければあれほど大きい議論は不可能だっただろう)。ノウハウを教える人間がどこに注目してそれを紹介するかで受容者のスタイルを方向づけてしまう。
拡張し続けるカード箱が持つ問題(捨てること、忘却の価値と関係している)
Cosenseのfavi-conを替える
https://gyazo.com/5825e02324f5dff9157ecaa9759bd68f
一番最初のページのアイコンが採用される。
pinを使って固定しておく
Amazonの配達ドライバーの話を思い出した。
誰かが効率良い配達ルートを見つけると、GPS経由でそれが把握され、他の配達員にそのルートが提示され、そのルートを使う配送時間が標準になる。すると、常に最高率の配送時間が基準になり、負担が大きすぎる結果となる。というような話。
場合によっては、最高率で進めたいときもあるし、今日はちょっとゆっくり目に進めたいという選択が時間が経つごとに失われるようになっている。
プロセスへの関与が効率化方向に固定されている。切り下げる自由がない。
しかも、最高率の配達ルートを見つけたことに対する報酬(金銭だけでなく栄誉なども含めた)もおそらく存在していない
牧歌的な農家、過密な工場のライン作業、ノルマの厳しい外回りの営業、フリーの執筆家などにおけるプロセスを比較してみること
記事を読む前は「あとで読む」、読んでいるときは「読む」、読み終えたら「読んだ」に切り替えていく。
前日以前の記述に厳密に適用する積もりはない。あくまで今の自分の認知の管理が目的。
あとで読む=>というような記述をなんと呼ぼうか
prefix的な感じがよさそう。preTagかな。
先頭につけることで、ざっと読み返したときに識別しやすくなる
生成AIがコンテキストを解釈する助けにもなりそう
常に目に入る場所にメモを置いておくという実験
「借り物の言葉で済ませてしまう」というが、言葉は基本的に借り物なわけで、そこで指示されようとしている状態とは具体的に何を意味しているのか。
ある種のモヤモヤと対峙することを避けて、流通している言葉を使うことでその場を収めること、という感じだろうか。
メモするツールが物理的にあることと、認知的にあることの違い
Kindle Unlimited
https://gyazo.com/6b78a976afc6851ccf93d9f540696b3e
二ヶ月だけ
たぶんこれから何度も書き直していくだろう図の一番最初
https://gyazo.com/2825e72e547281b8e88ab654a5b84028
メタノウハウ論
やわらかい計画、soft plan, soft planning, やわらかく計画する
行頭でのタブキーが、- に変換されるプラグイン
Cosenseの書き心地に迫れるか
入力するときはよい。問題はそれを削除するとき。バックスペース一発では消えない。つまり操作が対称になっていない。
その点を除けば、箇条書きへの入りやすさはだいぶ軽減されていると思う。
ただブロック単位の移動などが同じかどうはまた別の話