2025/4/18
本日は金曜日
Mac 15.4.1にアップデート
年代を調べたので、以前別プロジェクトで作ってあった年表をまるごと移植して肉付けした→情報技術年表 https://gyazo.com/d50291c964ef03be43a6e9be51c1f388
https://gyazo.com/0a138fb8f024f8dbab8e3a323c7c211d
何か本を読んだら、その感想を書く。
そのリンクをそこに書く。
だったら、感想をテキストファイルに書いて、一つのフォルダに並べていくことと同じでは?
ファイル・エクスプローラーでは「ファイル」しか並べられない。ただのコメントが存在しない。
ただのコメントもファイルにする必要がある。
その垣根が存在しないツールであれば?
そういう意味でTwitterは日記よりも気軽に投げることができてしまう。それなのにどうかするとブログよりもずっと遠くまで届く。
たとえば「これはすごい深刻な話なんですが」ではじまる2万字の投稿があるとして、それは気楽にRTはできないだろう。逆に「おもろ!」という一言のコメントとコメディーな写真であれば気楽にRTしやすい。SNSでは、気楽・気安・気軽なものほど「広く」届く。
一方でニュースメディア(マスメディア)は深刻な情報を広範囲に伝える役割を担っている。そこでは、気楽なものはそもそも発信に載らない。
「気楽であるから広まるもの。深刻であるがゆえに広めたいもの」
SNSの心理学が必要だな。
もしかしたら会話を文章にするようになった以上、チャット上における文体や文調みたいなものが出現しているのかもしれません。
この公開Cosenseで自分の考えを書いていくなかで、たまにこれはいつ結論がでて固まるのだろうと思うことがありました。
知性は、それが開かれている限り絶対的な結論には達することはない
私たちは、生きている限りにおいて、自分の考えを改めることができる
私たちが何かを発表するのは、「そのときの考え」を表すため。自分の思考のスナップショットを提示するとも言える。
「とりあえず、今は、こう考えています」という提示
とは言え、何もかもについてずっと考え続けることは認知的に苦しい。そうなると一時的にそれを忘れることが必要となる。「結論を出す」は、とりあえずいったんこれはここまでにしよう、という決定と言える。基本的には忘れる(認知の重要な対象から外れる)けども、必要に応じてよっこらせとそれを取り出して、再び考える準備がある、という感じ。
だからもし固めたいと思うならば、暫定的にそれについて文章を書き、発表すればいい。不完全でも構わない。そうなれば、それは自分の認知として(一時的に)固まったことになる。でもそれは、最終結論が出たわけではない。少なくともそう捉えるのがよい。
よって、思考においては忘却のマネジメントもまた大切になる。
ちなみに、たくさん考えることを続けていくと、いくつかのことが絡まりを見せ、"メッセージ"を形成してくることはありえると思う。その"メッセージ"は、テーゼやアーギュメントの形をとっていなくても「これについていいたい」というパッションを伴うものである、とひとまずは書いておく。
こだわること
こだわりのもつ力は、もしかしたらいま僕が考えているより、はるかに強力で重要なのかもしれません。
こだわる(拘る)
1 ちょっとしたことを必要以上に気にする。気持ちがとらわれる。拘泥 (こうでい) する。「些細 (ささい) なミスに—・る」「形式に—・る」
2 物事に妥協せず、とことん追求する。「素材に—・った逸品」
3 つかえたりひっかかったりする。
「それ程—・らずに、するすると私の咽喉を滑り越したものだろうか」〈漱石・硝子戸の中〉
4 難癖をつける。けちをつける。
「郡司師高—・って埒 (らち) 明けず」〈浄・娥歌かるた〉
肯定的なニュアンスで使われるときは「物事に妥協せず、とことん追求する」という意味合いだろう。それ以外はネガティブなニュアンスがある。
収容所の話は、何もなければ混沌に飲み込まれてしまう(あるいは無重力空間でさまよってしまう)人間の生=生活を秩序づける働きがあった、と捉えられる。
秩序を与えるものは時間だけではない、という論点を加味できる
何かにこだわるとき、そこには意志がある(あるいは遡及的に意志を見出すことが可能になる)
なぜか?
野生の動物はあまりこだわりがあるように思われない。
ビリヤード台の球が動いているのも同様。
こだわりは、生物学的要請からみて「別にどうでもいいこと」をやっているからこだわりと呼ばれる(だからネガティブな意味になる)。そう考えれば、人類のそれぞれの時代の文化はその時代における人類の「こだわり」だったとも言える。逆に言えば、個人の生活のこだわりは、その人の文化がそこにある、という表現もできる。
それがなくても生物的生は維持できるのに「わざわざ」やっていること。そのわざわざに私たちは人の意志を見出すことができる
拘という漢字は、とらえる / とどめる / つかまえてとどめておく / かかわる / こだわる を意味する。
これらは限定する、局所に限る、という意味合いでネガティブなものだが、あるものにとどまる、ある形を留めるという意味合いではポジティブにもなりえる。
まとめると、生活にこだわりを導入することは(そこまで意識的な所作ではないだろうが)、自分の生活を意味的に秩序づけ、また自分の意志がそこにあると感じられるようにするものである(あるいはその両者は同じことを言っているのかもしれない)
@moriteppei: Obsidian もちょっと苦手なんだよな。あの、ノード表示して「どうだかっこいいだろう」なとことか(笑)。CosenseみたいなかわいげのあるUIにしてほしい(じゃないと見返さない)のと、カスタマイズ性が高すぎる印象あって。でもNotionよりはいい! 最近ChatGPTでつくってもらったんだろうな、というアイキャッチ画像をよく見かける
テイストがすごく似ている。いらすとやがはやったときと非常によく似た感じを受ける
でもって最近は記事の文章そのものも、そういう「っぽさ」を感じることが増えた
生成AIに生成してもらっていることがどうこうとかではなく、別に「書きたいこと」がないんだろうなという印象。
記事という枠に嵌まる(注ぎ込める)中身があればそれでいいんだろうな、と思ってしまう。
また、最初の「遊」が無い状態で競技に入りこんだ場合、「面白がる」という部分をすっとばしてしまうことがのちに足かせになってしまう。早期に結果を出せるメリットと引き換えに、徐々にモチベーションが保てなくなり、燃え尽きてしまう選手が多いのだとか。
地道な練習を続けることは大切。一方でそれが続けられるような「楽しさ」の体験を持っておくことはもっと大切。
ノートツール(もっと言えば日常的に書くこと)は、二ヶ月成果を挙げたらそれでいいというものではなく続けていくことが大切なので、早期に結果を出せるメリットと長期に続けていけるモチベーションでは圧倒的に後者が大切。
〜と、とりあえず言ってみる
あるいは、〜という仮説、という言い方。
〜で強めの主張をする | テーゼを立てる
一旦言い過ぎをしてみよう
思想・哲学でよく行われている
挑発的なものいい、挑戦的な発言、といったもの
この現象を、言語哲学的に分析してみたくもある
強く言ってから弱めることと、弱く言ってから強めることは同じ結果にはならない
言い切ることの力 | そこから発生するツッコミ | 議論をドライブする力がある
単に「強く言う」ではなく「まずは、強く言う」なので、二節の指針になっている。 何を日ごとノートにそのまま残し、何を個別のページへと切り出すのかの指針
今、上で「順番は対称ではない」について以前書いたなという記憶があったので、日ごとノートをさかのぼっていた
そういう手間を避けるためにいろいろな工夫を考えているわけだが、むしろそうしたさかのぼりをいかに楽しくできるのかを考えた方がいいのではないか。
で、そうしたさかのぼりの対象にならないものはどんどん切り出せばよく、そうでないものは残すという考え方がありえる。
すべてが一枚のファイル・ページにまとまっているならばスクロールして捜すことは、より簡単であることは間違いない。OBTFの利点はそこにあるだろう。 これについてもう少し考えたい→自分の思考をさかのぼるために必要なこと
自分の思考をさかのぼるために必要なこと
検索すればいいじゃん、という割り切り
何を見返したいのか
効率化してピンポイントで見つけられるようになるほどセレンディピティは落ちる
復習効果も下がる
何かの作業をしているときに、たまたま目に入ることの意義
着想は発想子
思考素、という言い方でもいい
考えの種、とひらいた言い方でもいい
あの記事は🔬ルーズリーフの研究を起点に書いたわけだが、そういう記事を書こうと思ってページを作っていたわけではないし、また頁の内容をコピペして記事を書いたのでもない。あくまで起点として利用しただけ。そういう知的生産のプロセス。 現状の月ごとノートは、inboxを使っていないので、関連するページを見ていくとそれぞれの日付から切り出されたページを追いかけることができる。振り返りとしては悪くない。
上部のカレンダーはそうしたもののうち「特別に選んだもの」だけが並んでいる。要約や概要の位置づけ。
infboxを使うと関連するページは見えなくなる。
その代わり、たとえばそのページで抽出させたい要素を列挙できる。
夕食のレシピは非常にうまく動いた。
「考えたいこと」も似たように運用できるかも。
「あとで読む」などもいけそう。
そうして抽出されたものは、そのままでは操作できない。だから操作しない対象で行うのがよい、というのが以前までの結論だった。仮にそれを「考えたいこと」でやったらどうか。
そうすれば、いちいち「考えたいこと」というページを開かなくてもよくなる。この手のinboxだけのページは中身を書き換えないので、更新日順だと後ろの方になってしまう。わざわざ「捜す」ことが必要になる。そもそも、うっかり忘れることが多い。
月ごとのinfoboxにしておけば。Pinされているし、ちょこちょこ書き換えもするので更新日順で「クリック可能圏内」に存在している可能性が高い。
一ヶ月が終わったら、そのときはじめてinfboxを付与する?
いや、しかしinfoboxはこういうことを書きましょう、という枠組みを与えるものでもあるのだ。
断片的なものの扱い
いかに書き、いかに見返し、いかに次につなげていきたいのか?
時間は流れている。私たちは流転するものである。ノートはそれを繋ぎ止めるものである。固定化。
その固定化には二つの役割がある。一つは、固定化させて暫定的に終了扱いすること。もう一つは、いつでもそれを呼び出して再開できるようにすること。
日ごとノートに
複数の断片的なものを、一時的なグループでまとめる?