2025/3/8
料理のレシピは切り出しやすい
本の書誌情報も同様
切り出しやすい=カード化しやすい=オブジェクト化しやすい
「プロジェクト」はどうだろうか?
内容がさまざまなに異なるので案外難しいのではないか?
プロジェクトノートならばもうすこしマシ
というか、本のオブジェクトも、実際は「書誌情報カード」をオブジェクトにしていると言えそう。
アナログツールを使う土台はかなりの人が共通しているが、デジタルだとそうではない。
それがデジタルノートの話をマス向けにする難しさでもある
ロギング仕事術などは、地味である。
提示されたノウハウが効果が上がらないと、どんどん派手な方向へと向かっていく。しかし、地味なことをしっかりやることが1番効果がある。参考書の使い方と同じ。
本を読むと、本を使うの違い
事物とのコミュニケーション
コミュニケーションとは何か?
何を指してコミュニケーションと呼びうるのか?
https://open.spotify.com/episode/0p4NJjkmAC2yS11h3xHR1U?si=-iikJSYJSQaJJmtseZ4GBg&context=spotify%3Ashow%3A0RBrfKfA9QnDoCqjMAEUXi
授業づくりの話
話すこと、話さないことを決める
生徒からの質問があればそれ以外のことも話せる
この構造こそが「関与できるが、支配できない」ではないか
偶然性に身を晒すということ
意思+偶然性によって、一度きりの何かが生まれる
貼ったリンクの形式によってポッドキャストのembedが出たり出なかったりする
Appleのやつはでない、spotifyは出る、というのはたしか
spotifyでも出ない場合がある
これまでつくった日ごとページを一気に開きたい年頃
できればカードみたいに並べまくりたい
CosenseはページのタイトルがURLを担当しているので、ページIDなどを調べなくても、JavaScriptで必要なページURLはいくらでも生成できる
この魅力をわかってくれない人が多い
単純に、ブラウザのブックマークで、フォルダを作り、そこにまとめておけば「タブですべて開く」が実装できる。
一ヶ月分とか一斉に開いたらちょっとしたカオスが生じそう(あとメモリ)
「いや、デジタルでノートが取りたいだけなんだよ」という人向けのObsidian講座とかならば書けるかもしれない。
zenSidianはだいたいそういうコンセプト
多くの人が基本的に家庭のことを他人に大きく外注して仕事をしているにもかかわらず、その状況を安易に「両立」と評すことは、その現実的難しさを誤魔化してしまってると思います。
彼女が作業のために持ち込んで置いているような物が何も見当たらない。あの大きなバックパックに加えて、肌身離さず装備している革の道具箱、それから両脇に抱えてくる色々の箱に詰めて持ち帰っているのだろう。常に道具ごと移動している、というべきかもしれない。
Bookタグを削除
3つのノートに付与されていた
2枚は「2014booklog」という同名のノートでごく初期で記述が終わっている
1枚はIFTTT経由のTumblrからのページで、『知の編集工学』からの引用だった
「編集」だからbookなのか、本からの引用だからbookなのか判然としない
タグはこういう風に文脈的不透明さを生みがち
言い換えればbookというタグは、この言葉で考えうる範囲すべての文脈で使うことができてしまう。
それが結果的に混乱を引き起こす
現実の読者と、イマジナリーな読者がいる
この二つは影響しあう
むしろ現実の読者のイメージ(ややこしいな)がまったくないと、イマジナリーな読書は暴走しがち
ひたすら褒めるか、ひたすら貶すか
明日へのリンクだけでいい
今日あるページを書く。
時間は前に進んでいる。
よし明日のページを書こうという感じになる。
極端なことを言えば、23:59→00:00にページを開いていたとする
そのとき、今日のページからリンクをつくって明日のページをつくる
そういう「自然なリンク」(これがこの項目全体のタイトルになるべきだ)
昨日のリンクは、情報構造を整えるためだけに付与される場合が多い
上記のつくりかたをしている限り、バックリンクで表示されるからあえて付与する必要はない
形式が整っていないと嫌、というならば理由はあると言える
もちろん、「そうだ昨日のページつくっていなかった」という場合、今日のページから昨日のページのリンクをつくって開く、というならば「自然」だ。
そういう場合を除けば、明日へのリンクだけでいいのではないか。
かーそるで使っている共有プロジェクトには掲示板がある
通年の掲示板
一ヶ月が経ったら、その部分だけを別ページに切り出す
そのようにしてもとになるページはずっと同じで、「2025年1月の掲示板」のようなページが月ごとに切り出されていく
その切り出しの際、もとの掲示板ページに「2025年1月の掲示板」というリンクをつくる。
その行以下を切り出すから、そのリンクはページの一番下になる
さて、2月の書き込みがあって、3月になったとする。
そうすると2月の書き込み分を「2025年2月の掲示板」というリンクで切り出すのだけも、切り出される内容に一番下の行に置かれていた「2025年1月の掲示板」のリンクも含まれることになる。
結果、おおもとの掲示板→先月のページ→先々月のページとリンクで辿っていけるようになっている
あえて、リンクのためのリンクはつくっていないのに、情報的な構造が出来ている
自然な(ナチュラル、オーガニック)な構造
これが「手間はかけるが、かけすぎない」を維持するのかもしれない。
同様に、以下の場合も自然なリンクだと感じる。
フォーマットを整えるためではなく、「そのリンクに用がある」からつくるというフィーリングでいきたい
身内からiPhoneで漢字変換の登録を教えて欲しいと言われて、それはぜんぜん教えるのだけども、たぶんググったらすぐにわかると思う。医療情報とか、お店の情報とか、大学・市役所系の情報はよく検索しているし、Amazonなどで買い物もしているから検索しないわけではない。iPhoneに漢字変換を登録できるのは理解しているので、概念が不在なわけではない。検索ワードが思いつかないか、ノウハウを検索するという思いつきがないか。あるいは、検索しても結局ページを読むだけではわからない(と予想している)から、教えて欲しいということなのか。
それとも単に僕がそういうのを調べすぎているだけなのか。
言葉を定義しよう
日常的に記録しながら生活すること全般をロギング生活術、あるいは生活ロギングと呼ぶ。
その中で、倉下は日ごとノートという形で記録を残している。一日ごとに切り分けたノートをとる形。
さらに倉下はその日ごとノートの中で、メモローグという形式で書き留めている。
という構図がある。
ロギング生活術=日ごとノート=メモローグ ではない。それらはたまたま私の場合にこうなっているという設定であって、ロギング生活術だけども一枚のノートに連ねて書く、というのがありうる。
概念が密着していると、「ロギング生活術だから日ごとにノートを作って、メモローグしなければならない」となってしまうので、できるだけ隙間を空けて理解しておく。マージンを設ける。
今、日常的に書く場所は三つある(SNSを除く)
このCosenseプロジェクト
Obsidianにあるデイリーノート(デイリーページとして)
Textboxの日記(一日一度だけ)
Obsidianの作業記録とTextboxは最終的に統合する予定ではある
ただしObsidianと同じくらい使いやすいエディタを自分で実装するのはかなりハード
であれば、ObsidianのvaultをTextboxに取り込む?
そうするとiPhoneからではObsidianを開けなくなるが(TextboxはDropbox内にあるので)、それでもそれ以上のメリットがありそうな気がする
こういう行は、とりあえずつくって、しばらく後でリンク先のページに取り込むか、個別のページとして切り出すかしようか。
最高の教師は、教師の顔をしていない
「させられている」という感覚を与えない。むしろ自分で獲得したという気持ちにさせる。それが次なる意欲を生む。
命令とその達成による充足感は、次なる命令を待つ体制を整えてしまう。
項目を探すために、WorkFlowyを「庭」で検索した
いろいろ面白い項目が複数の場所で見つかったが、今は別の作業をしなければならないので整理できない
そいうときに、上記をどう「リマインド」するか。
いちいちそれをブックマークするのは違う気がする(数が多くなるなら破綻する)
愚直にいこう
https://gyazo.com/366e42ea77a262e2c18d23857e4f3b4e
そのままの文言でタスクにする
WorkFlowyの検索結果は任意のURLと等しいのでそれも保存しておく
気がついたが、「料理術」とは言わないな。
せいぜい「料理法・調理法」
でも「仕事術」とは言う。
この差異は、ちょっと考えてみたい。
Scrapbox を活用した読書教育に関する実践 / 後藤田和
参考文献(Cosenseに関するもの)
1) 塩澤一洋:教育における IT 利用に関する著作権法改正案と Scrapbox によるアクティブ・ラーニングの効用,成蹊法学,88号,pp.149-188(2018)
2) 近堂伸彦・畠中利治・松田岳士:「Scrapbox を用いたオンラインノートの学習記録と学習成果の分析」『人工知能学会全国大会論文集,(2019)
3) 峰本義明:Scrapbox を活用して学生の主体的な学習を図る授業の実践と評価」(『新潟青陵大学短期大学部研究報告,第 50 号,pp.137-149(2020)
4) 魚住淳:情報の授業をしよう!:Scrapbox と Scratchとロイロノートを組み合わせたプログラミング授業実践,情報処理,63 号, pp.125-131(2022)
日ごとノートの表記法
2025/03/08 ゼロパディングあり
ぱっとみた感じ、僕とmoriteppeiさんの日ごとノートは0埋めなし、それ以外の人はありでつくっている
別にどちらでもいい
かわせみで「今日」で変換すると2025年03月08日になる。
Cosenseでcontrol + t すると2025/3/8となる。
ただしこれはUserScriptで変更可能
これを使っている感じ。
手書きだと0埋めすることはあまりないが(余白で縦の並びを揃えられるから)、デジタルで一列に並べる場合は0埋めの方が綺麗に並ぶことは間違いない
別にどちらでもいい
もしこれがテキストファイルへの名づけならば、0埋めした方がいい
3年前にすでに0埋めのページを作っていたことを発見した。
よくこの名前を忘れるのだった。
長期間、紫外線に晒されていなかった人に強い紫外線を当てるのは避けた方がいいだろう
であれば、長期間批評・批判にさらされていなかった人に、強い批評・批判を与えるのも避けた方がいいだろう
今聴きているNHKラジオ()英会話系
https://gyazo.com/34af8cd418a90e05aab84798fa07b6bf
一日には、このセットの一日分だけ聴く
プリン
https://gyazo.com/fc1fe7063cea44356027b307fc37f854
人はみなデコボコしている
人間は均一ではない
均一でないことは、何もかもがバラバラなことを意味しない()そういうものを均一ではないとは表現しない
かなりの部分共通している、あるいは基盤は同じだが違いがある、という感じ
肉体的、精神的、環境、経験、もろもろが違う
そういう違いを前提として、どう考えて生きていくか
できるだけデコボコをなくす?
できるだけデコボコをいかす?
誰にも迷惑をかけないで仕事するなんて可能なのだろうか。
迷惑をかけるのはほとんど前提で、あとはその程度の問題ではないか。
ゼロイチ、あるなし、しか選択肢が頭に浮かばないときは、かなり脳が疲れている気がする。
ある程度活動をしていると、どのような発言が社会に受け入れられやすいかを学び、自分がどう考えているのかとは別にそういう発言に寄せていく、というパターンが出てくる。
場合によっては、フリーレンの魔族のような存在も出てくる。外向けのメッセージだけで、判断を下すのは性急すぎる。
ゼンシディアンのテーマを作ろうかしら
昨日の続き
https://gyazo.com/5fcc12c6b08aa5e9abead7f0a36bbaba
将来について考えなくてもよい、と言っている人は将来についてものすごく考えてきた人である場合がある。
考えたからこそ、そう言えるのだけども、その価値をうまく評価できていない可能性。
精神論が低いものとして扱われているが、よくわからない。
何かの心構えを説くことは「精神」に関わることだから精神論だと思うけども、心構えなしでただ具体的な方法だけ教えてもらってもうまくいかない気がする。
「有害な男性性」に似ているのかもしれない。
あるいは「陰謀論」と。
批判の方が大雑把すぎる。
本田宗一郎や松下幸之助はカリスマ的な経営者として扱われうると思うが、イーロン・マスクのそれと同じものなのだろうか。
違うとすれば、何が違うのか
ああ美味そう
https://youtu.be/s0IR7AvlH1g?si=Nqt8KC8lZkya-QLB
数学は、与えられた問題を解くだけじゃありません。
わからないもの、ややこしいもの、あいまいなものを、なんとか解きほぐしたい。そんな気持ちが大事なんです。自分で問題を立てて、自分の手を動かし、自分の頭で考えることがとても大事です。
そうしているうちに一ときどき、驚くものに出会います。
『数学ガール 乱択アルゴリズム』
非常に根源的な自分の願いとして、それぞれの人が自分の方法を作る()編み上げるでもいい()楽しさを得て欲しいというものがある。それが社会のためになるとか会社で役立つとかではなく、生きるという活動のために。
何かしらの方法だけで、物事が、あるいは人生が劇的によくなることはない。それでも、方法があることで変わる何かはたしかにある。