2025/3/22
質という言葉
「質を高める」という言い方だと一次元の(高低がある)基準になる
質が良い、悪い
「異質」や「質が異なる」という表現だと一次元の基準という感じはしてこない
質感、という言葉もそうだ。
正直、Xのタイムラインはフォローしている人のツイートをすべて読めているのかまったくわからないので、別のSNSかこのような生活ロギングページの方が安心感がある。
自分のデジタルノートをAIが自動的に整理してくれる、というのに特に魅力を感じない。
特にインデックス的なページを自動的に作ってくれる、という話は、複数の観点からなんかちがうんじゃないかと思う。
人間が作る索引とコンピュータのそれ
索引づくりを通して、自分の理解が深まる、ないしは変化していく可能性
適当にメモを入れておけば、いい感じにアウトプットができる、というイメージを自分はほとんど持っていない
むしろあるプロセスを通して、自分に変容が起こる(たとえば、賢くなる)というイメージが強い
一連の日ごとノートには処理できない数のメモがあるわけだが、それらをAIが適切にさばいてくれるなら嬉しいかと言えば、そうではない。
むしろそれらを処理することを助けてくれるためのツールなら使いたい
Constellaというツールのサンプル画面のキャプチャ
沖ツラがよい
比嘉さんがよい
沖縄文化についてぜんぜん知らないということがわかるし、実際に行ってみたくなる
東畑さんの『野の医者は笑う』を思い出す。
比嘉さんがよい
OpenAI.fm
An interactive demo for developers to try the new text-to-speech model in the OpenAI API.
/jinJIN/仕事という概念
ページになっていた
→参照:2025/3/21#67dca4279dc7d80000a5b10e
/jinJIN/読書感想文
ちなみに僕は読書感想文がすごく嫌いでした
だって、感想は「面白かったです」だけなので。
読書感想文の指導は、その「面白かった」の解像度を上げることであって欲しい
自由に書きましょう、というのは指導ではない
『「学び」がわからなくなったときに読む本』に出てきた甲斐さんの作文指導を思い出す。
特定のキーワードを含めることで、思考を促すアプローチ
/jinJIN/知的生産の門前
たいへんすばらしい。まさにこれが「メモからはじめる知的生産」だ。
いかに「肩ひじ張る」を抑制できるかがノウハウ伝達者としては大切なのだと感じる。
意義を強く主張したり、完成したシステムを提示すると、どうしても肩ひじが張ってしまう。
大切なのは、読む本を限定することではなく、読むことをやめないことではないか。 #『読書はつづくよどこまでも』
そういえば、仕事をしはじめると知識欲は膨れ上がる気がする。
コンビニでバイトするまで、小売り業とか流通についてぜんぜん知らなかったし、マーケティングとかプロモーションとか、そこから発展して人間の購買意欲とかに興味を持ったのも、そこからだし。
そんなものは「本」ではないし、資本主義に駆動されているのだと言われれば、まあなんともいえないわけですが。
「本」はつらなって存在しているので、読み続けることをしていればいろいろなところに飛び火していく。自己啓発書も、経済学とか心理学とかそういうのにつながっているし。
(ツイートよりピックアップ)
『空気を読むな、本を読め』はどうか。
#企画案タグ
この二つを対比的な行動として扱う。その上で、最後につながりを見出す。
基本的にこのページに書くようにしているが、他の人の投稿を見て勢いでTwitterから先に書いてしまうこともあるので、その場合は折りを見てこのページに引き込むようにする。
何かを経験すること、変身すること
何かをつくる、あるいは修繕するという経験を積み、それがいかに簡単で難しいことなのかを体得する。それは世界へのまなざしを変える。
一口に積ん読といっても以下の状態がありえる
買ってまったく読まない状態(買うだけの状態)
買う量と読む速度がつり合っていない状態(読んでいるけども読み切れていない状態)
後者は何も問題がないように思えるし、前者だって一つの見えの張りかたであり、文化への投資でもある
ボトムアップによる全体の形成は、「時間がかかる」という点において、安直なトップダウンとの差異を持つ。
やじるしの方向の違いは、時間の点からも検討できるだろう、という観点。
上から下は(原理的には)早い。下から上は(どうあがいても)遅い
プロセスの検討において、「時間」の次元を無視するわけにはいかない。
https://x.com/tsurezure_lab/status/1902661785309814916
うむ。わからん。けど、なんかすごそう。
こういうテキスト処理はよいと思う。
自分のメモの処理を任せるのとは何か違うのか?
胸襟を開いて学ぶ姿勢の大切さ
素直に学ぶでもいい。率直に学ぶでもいい。
世の中の出来事に対して斜に構えるのは構わないが、何かを学ぶときはまっすぐに学んだ方がいい
学ぶ内容や、学んでいる自分に対して斜に構えると、学びそのものが歪んでしまう
特に天の邪鬼な人間は、意識的に素直に学ぶようにする。
何も手を打たなければ斜に構えてしまうなら、意識的にそれを抑制する訓練をする
自分の「自然」に抗う工夫を持つ
「自分は〜〜な人間だから仕方がない」という問題の終わらせ方もできるが、まったく同じスタート地点に立って「自分は〜〜な人間だけども○○をやってみよう」という行動の始めかたもできる。
どちらが正しいのではない。どちらを自分が望むのか、ということ。
人間に残された最後の営み(領域)が、望むことだろう。
ハラリも本の最後で似たようなことを書いていた
ホモ・デウスだったかサピエンス全史だったかは忘れたけども。
#けれどもの姿勢
反骨精神(Rebellious spiri)
Anti-bone spirit ではない。
自分自身の性質についてすら反骨する。
過去の着想メモをCosenseに移動してくる
Knowledge Walkersの隠しページにあったものをこちらにもコピーする
2023年2月アイデアメモ
とりあえず2023年分だけ。2024年分はまた別の機会に。
これらのページも時折見返し、切り出したりハッシュタグをつけたりしていく。
巨大な構造をつくるぞ、と息巻くよりは、まずは「小さな手入れ」をちょっとずつやるのがいいだろう。
あきらかに今の(というかこの)メモの書き方の方が重厚だ。フレーズだけのものはインスピレーションが湧くが、考えが深まることは少ない。
アイデアの二つの役割
とはいえ、フレーズだけのものは書き留めるのがすごくラクチンだし、(今のこの)メモローグはなかなか手間がかかる
その手間が「考える」という行為の実践であり、つまりは微妙な筋トレ(知的トレーニング)をしているということでもある。
楽はしたいが、楽をすればいいというものではない
Tech Habits: Capture Everything in One Place? | by Geet Duggal | Medium
actually productive / meta productive
“capture everything in one place”
書く場所があることが大切である、という話
Capture用の場所(inbox)があるにせよ、今旅行用のノートに書き込んでいるときに、旅行のアイデアが思いついたら、そのノートに書けばいい。そのとき"capture everything in one place"の原則は破られるが特に問題は生じない。
メルマガでも書いたが、「一つの場所に書く」という方針の打ち出し方はあやまった運用を立ち上げてしまう。
そうでなく、何かを書こうと思ったら深い判断を経ずにとにかく書ける場所を持っておこう、というのが適切な方針だ。
デジタルの場合、書いた場所から移動させることも簡単なので、特にこの「とにかく書ける場所を持っておく」という方針は活きてくる。
少なくともこの指摘は、これまでの知的生産の技術書を「アップデート」するものだろう。
『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』に出てきた会話を更新すること、に属する指摘だと思う。
人は環境に順応する、という性質を踏まえた幸福論とは何か
ある職をまっとうするとはどういうことか。この社会で生きるということはどういうことか
店員はお客さんに頭を下げる
医者は患者に寄り添う
市民はお互いに○○し合いながら生きていく
Twitterのアーカイブの準備ができたそうなのでダウンロードする
推定サイズ:868MB
とりあえず、明日急にTwitterがダウンしても大丈夫
🔬日ごとノートの研究
0256 : 一難去ってまた一難で大分しんどい話 - by 北真也(beck)
がんばれと言いたい気持ちと、がんばりすぎているのではないかという疑問が混ざり合う
「ここを乗り切れば」という話題をわりと頻繁に見かけている気がするし、時間とともに安定しているのとは逆向きになっている感じも受けるけども大丈夫なのだろうか
社員さんが増えているらしいので、うまく力を合わせて乗り越えて欲しいところではある
自分が「くだらない本」と感じるときの基準とは何だろうか
一般的な評価と、単に自分の興味がそこに向いていない(そういう情報を欲していない)だけの評価がありそう
勇気と無謀の違い、みたいなことを考えたときに何かしらの規範があるかどうか、という点を思いつく。
何かしらの規範、最低限守るべきものがある、という態度でリスクをとることが勇気
そうでないのが無謀
という感じ。
読むことには読み取ることが含まれる
情報があって、それをインプットする、みたいなモデルではない
ある本から有益な情報が得られなかったら、自分がそれを読み取る能力が欠けていた、ということがありうる
もちろん、その本に有益な情報が含まれていなかった、ということもありうる
ノウハウを分析する視点
@rashita2: 楽して稼ごうとしている人は「楽して稼ごう!」くらいしか発信できることを持っていないのかもしれない。
我ながら辛辣なツイートだ
人中心のマネジメント
マネジメントはさまざまなものを考慮する必要があるので、人を中心にするのはおかしいと思われるかもしれない。
実際、利益など重要なことはたくさんある。
そうしたものは否応無しに考慮されることになる。
だから人中心でいい。むしろ人こそが一番簡単に切り捨てられてしまうものである。
だからきちんと特別視しておく。
マネジメントとAIを考える上でもこの観点はきわめて大切。
"【最大70%OFF】Kindle本 (電子書籍) 新生活セール"を漁る|倉下忠憲を書いた。
リヒトラブ1冊でも倒れないブックスタンドを買った
自分で投稿しないでRTだけしているのは実に楽だ
そのうえ、発信欲求みたいなものも満たされる
要素が二つあれば、矛盾が作り出せる
一つよりも一気に複雑さが増す
仮にCosenseが使えない状態になっても、このように「とりあえずデイリーベースでざっと書き、その後にそこで処理をする」ということができるようにしたい。
ポイントは、デイリーを書くその場所で、その後の処理もできるということ。
ふだん触る場所が、過去のメモが残っている場所にもなっている
書いたものに手を入れることは大切だと分かっていても、なかなかそれを触ることができない
日常的に書く場所に「手を入れるもの」があることで、シームレスなつながりが生まれる。
ルーマンは、雑多なメモとカード箱は分けていた。
でも、その二つはきっと「机の上」にあって、どちらもシームレスに行き来できていたはず。
デジタルだと「同じコンピュータ」にあっても、認知的空間では別の場所ということがツールが分かれることによって生じる。それをどうケアするのか。
Obsidianでこの入力環境を再現することはできるにして、WorkFlowyならばどうか
Textboxならば自作で(力技で)再現することは不可能ではない
WorkFlowyに日ごとノートを入れる
つくるの語彙バリエーション
生成のピンホールモデル
自分をAIでもう一人作る??Second-Meを試してみる② #SecondMe - Qiita
2503.08102 AI-native Memory 2.0: Second Me
Second Me
Second Brainとかではなく、Meだ。
どうがんばっても本は楽には書けない
だからこそできるだけ肩に力を入れないようにする
『精神の生態学へ (下) (岩波文庫 青N604-4)』
実際、コミュニケートするとは、冗長性とパターンを生み出すことと同義ではないだろうか。
夕食は買ってきた惣菜で
https://gyazo.com/baffb129e90771187dfc5b1d8e2ce986
一応ウィンナーと卵を焼いたものだけ作った
絶対的な神から見れば、すべての人間や文化や時代は「等しい」ことになる。
神の存在から導かれる人間の不完全さ
神は絶対的で完全ある
人間は神ではない
人間は絶対的で完全ではない(不完全である)
図書館の『転生したらスライムだった件 10』を読了
Go to the next day:2025/3/23