2020年2月のアイデアライン
2020/2/4
2020/2/7
言葉通りという言葉があるのは、言葉が言葉通りの意味でない場合があるから
2020/2/8
儀礼は変更可能
(アウトライン・プロセッシングにおける)「シェイク」による組織論、というフレーズが思い浮かんだ→アナーキーなPDCAのために 哲学者 千葉雅也
さらっと書いてあるけど、結構これは難しいはず→"儀礼は変更可能だと気づくべきなのだ"
儀礼は、繰り返されるものだからこそ(=固定)儀礼としての地位を獲得する。言い換えれば、儀礼として認識される。「変更可能な儀礼」は、論理的には簡単でも、認知的にはラディカルな変化を迫るのではないか。
斜め読みスタイルは、言葉が詰まった長い文章や、容易に(あるいはすばやく)理解できない複雑な考えや、必要不可欠でないとみなされる言葉には不向きでありあ、そのスタイルの読み手のニーズを出版者が考えざるをえないとき、文化は計り知れないダメージをうけます。
『デジタルで読む脳 X 紙の本で読む脳』
2020/2/9
「合理性」のものさしではかりえない活動
2020/2/19
書斎への歪んだ欲望
遊びと遊び心と仕事と?
可愛げと可愛い
遊びはルールから生まれるが、遊び心はそのルールすら標的にする。
「悩みは悩むことで完璧にコントロールできる」という歪んだ考え方。
2020/2/21
権力・自己・フーコー
自己を管理するときに生まれる権力
2020/2/22
デカルトは驚きを情念のトップにおいた
2020/2/23
2020/2/25
私たちは、もっと他者を嫌ってもいいんだろうと思う。嫌う感情自体に倫理的な罪責感を持たなくていいんだろうと思う。
でも、それを社会的に見える言動にしたら、社会的な責任を負うことになる。
それと、そうした、誰かを嫌うことで、他者と共感を得ようとすること(嫌うことの連帯)は、できるだけ、やめたほうがいいだろうとも思う。嫌うことの自由は意外にもろいものかもしれないし、自分の個人的な嫌うという大切な感覚を他者の感覚と調整することで、自分の感覚というもの自体を傷つけやすい。
嫌うという心情と、それを態度として示すことの乖離。心情と態度の乖離。切り離すこと。
好き嫌いというのは、雑食と関係があるんじゃないだろうか?
どういうことかというと、これは嫌いだなという自分の感覚があり、でもそこに、嫌うことの自信がなければ、人間の文化のなかで、それを嫌う根拠性を理解すれば足りるということだ。承認は概ね不要。
いやおうなしに全体は生まれてしまう
かーそるの編集
千葉先生の話
画竜点睛を欠く
神は細部に宿る
Dr,stone.サピエンス全紙、トースターを作ってみた本
ぜんおうさまですら、楽しみは自分で作れない
彼は宇宙を消すことができるが、ワクワクする舞踏大会は自分一人では達成できない
2020/2/28
進化は多様性と遺伝が必要
アテンションとプロンプト
tele は「遠く」。その意味で、自宅を本拠地としている場合、カフェで仕事をすることがテレワークと言えるかどうか。
タテ社会では、場への接続が極めて重要なので、とにかく集まることになる。
2020/2/29
メモは、観察・考察・表現の三つでできている
メモは、知的好奇心から生まれる