知的生活における「知的」とは何か?
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渡部昇一の『知的生活の方法』は、彼が訳したP・G・ハマトンの『知的生活』によるところが大きい
P・G・ハマトンの『知的生活』は、原題が「The Intellectual Life」である。
Intellectual Lifeが何か、という定義は与えられていない。
それを求める人がどのような人なのかという実際的な記述がたくさん積み重ねられている
渡部昇一の『知的生活の方法』ではどうか
この本で私が意図したことは、本を読んだり物を書いたりする時間が生活の中に大きな比重を占めている人たちに、いくらかでも参考になることをのべることであった。
本書に書いてあることは、すべて私の実感か体験か願望かである。
たまたま見つけた有意義な指摘
このように「ほんとうにわかることを重んずる」という、本来はけっこうな心構えは、時には、「わかることを怖れる」というノイローゼ的な段階に至りやすいものであることは指摘しておいてもよいと思う。
とりあえず、知的な生活の内実は一様には定義できない。人それぞれによって違う(つまり、本を読んでいるから知的生活であり、映画を見ているのは知的生活ではない、などといったことは言えない)。
ある種の志向性を持つ生活なのであろう、ということは、ハマトンの『知的生活』を読むと感じられる。
これに比べると、梅棹による知的生産の位置づけはもっと明確である
「物的ではないという意味で知的」(≒情報的)
「消費ではないという意味で生産」
この二つが交じり合う領域が「知的生産」
そうした差異を意識するならば、本能的(本能のままに生きる)ではなく、理性的に生きようとする姿勢、ということが「知的」なのだとは言えそう。
知識を増やす、賢くなる、ということよりも「うまく考えられるようになること」を欲する志向性
以下『知的生活』より
知的生活の神髄というのは、どの程度科学的であるとか、表現の仕方がいかに完全であるかということにあるのではなく、常に程度の低い思考よりも、より高度な思考の方を採るということにあるのです。
rashita.icon「程度の低い」という言い方は、やや差別的な(あるいは西洋至上主義的な)ニュアンスも感じられるが、言いたいことはおおむね了解できる。