梅棹忠夫における読書のカード
自分がよんだのは、たしかにこの本である、を確認するためのカード(読書確認カード)
カードについては、まえにかいたが、例の大型のいわゆる京大型カードである。それに、著者名、書名、発行年月、出版社、ページ数などを型どおり記入する。行の最後に何年何月何日、よみおわった、ということをかくのである。ただしそれだけであって、読後感そのほか、内容にかんすることは、このカードにはいっさいかかない。必要があるときには、別のカードにかく。
読了後のカード
本を読むときは、できるだけ立ち止まらず一気によんでいく。重要だと感じたような箇所は傍線を引くなどする
その後、ノートをとる
たのしみのための読書ならこういうことをする必要はない。あくまで「知的生産の技術」としての読書の話と限定している
ノートの内容は、なんでもいい。全体の要約をつくるのものいいだろう。感想や批評をしるすのもいいだろう。
わたし自身は、何をかくとはきめていない。いろいろなことをかいている。
書き方
よみあげた本を、もう一度はじめから全部めくる→印をつけたところに目を通す→あらためてその印をつけた意味を考えてみる→いろいろなケースで線を引いているはずだが、あらためて「これはほんとうにノートにしておくかちがある」と思われるところだけをノートにとる
同じく京大型カードを使う。一枚一項目要領で。
カードの上欄には、その内容の一行サマリーを記入し、下部に、その本の著者、表題および該当ページを記入する。本そのものについてのくわしい記載──発行所とか、発行年月日とか──は、すでに読書確認カードに記入してあるから、この場合には必要がない。
できあがったカードは、もはや読書ノートではない。読書ノートとしての制約をこえて、ほかのカードといっしょになって、あたらしい知的生産の素材として、そのまま利用されるのである。
ほぼルーマンの運用と同じrashita.icon
一冊の本で、三枚から三十枚くらい。中には一枚もかーどをつくらなかった、という本もある。