ブックカタリストBC143用メモ
小説家が書いた小説の読み方、書き方の本
/icons/hr.icon
Part 1. それぞれの本の紹介
著者:小川哲(おがわさとし)
1986年千葉県生まれ。東京大学理科一類→東京大学大学院総合文化研究科博士課程退学。2015年に『ユートロニカのこちら側』で第3回ハヤカワSFコンテストの〈大賞〉を受賞しデビュー。2018年に『ゲームの王国』で第38回日本SF大賞と第31回山本周五郎賞を、2022年に『地図と拳』で第13回山田風太郎賞を、2023年に同作で第168回直木三十五賞を、『君のクイズ』で第76回日本推理作家協会賞〈長編および連作短編集部門〉を受賞(映画化も)
『嘘と正典』(2019/9/19)
『君が手にするはずだった黄金について』(2023/10/18)
『スメラミシング』(2024/10/10)
『火星の女王』(2025/10/22)→NHKドラマ化原作
『こうやって作家は言葉を紡ぐ』(2026/5/28)
『斜め45度の処世術』(2026/4/17)
出版社 :講談社
出版日:2025/10/23
新書サイズだけど新書レーベルではない
目次
1 小説国の法律について
2 小説の「勝利条件」
3 知らない世界の話について堂々と語る方法
4 「文体」とは何か?
5 君はどこから来たのか、君は何者か、君はどこへ行くのか
6 小説はコミュニケーションである
7 「伏線」は存在しない
8 なぜ僕の友人は小説が書けないのか
9 アイデアの見つけ方
10 小説ゾンビになってわかったこと
11 小説の見つけ方
12 本気で小説を探しているか?
小説「エデンの東」
著者:大滝瓶太(おおたきびんた)
1986年生まれ、兵庫県淡路市出身。2018年、「青は藍より藍より青」で第1回阿波しらさぎ文学賞を受賞。2023年、『その謎を解いてはいけない』(実業之日本社)で単著デビュー。その他の著書に『理系の読み方』(誠文堂新光社)、『花ざかりの方程式』(河出書房新社)がある。
『口笛吹きと音楽の犬』(2026/6/10)
出版社 : 誠文堂新光社
発売日 : 2025/10/10
目次
はじめに わたしが「理系」だった頃
■講義編
【第1回】小説を『解く』(前編)――カフカ作品と熱力学
【第2回】小説を『解く』(後編)――小説に働く力
【第3回】小説を『近似』する――『よくわからない小説』をどう読むか?
【第4回】小説を『使いこなす』(前編)――『ゲーム』としての小説!?
【第5回】小説を『使いこなす』(後編)――解ける謎と解けない謎
【第6回】小説を『読む』(前編)――『ノイズ』がもたらす「知」
【第7回】小説を『読む』(後編)――小説は役に立つのか?
【第8回】小説を『小説する』――危険な読書体験?
【最終回】小説を『書く』――小説はカンタンだ!
文理横断ブックレビュー
手計算の美学/怪異たちの進化論/執着からは人間のにおいがする
■実践編
作家たちの犯行の記録――特殊設定ミステリ試論
幽体離脱する「私」――「拡張された私小説」としての滝口悠生
/icons/hr.icon
Part 2. 二冊から言えることを探る--
『言語化するための小説思考』
英語タイトル表記:How to put into words what's in my head.
文章の価値を決めるのは他者
文章は他者のため、あるいは「作品」のために書かれるべきであって、自分を大きく見せるために書かれるべきではない
文章は「自己表現」であると同時に、「その自己表現に他者がどれだけ感心したか」という側面を持つ。
なぜそのことが重要なのか?
著者は、小説家以外になれなかったので、小説家になった
伝えたいメッセージがあるわけでもなく、どうしても表現したいことがあったわけでもない
本が好きで、満員電車や無能な上司など社会的(ないしは会社的)なものが嫌いで、小説家になった
だからこそ「そもそも小説ってなんあのだろう?」と考える時間が長かった
いわゆる創作術の本とは違うかもしれない
「言葉を生みだす過程で働いている思考の動きを言葉にする」
小説には法律がある
しかし人によって小説法は異なる。
デビュー後の悩みは、自身の小説法の改正
rashita.icon〜〜として読む、というとき、それぞれの小説法が立ち上がる
自分の法律がどうなっているのかを知っておくことは、小説を書く上でも読む上でも役に立つはずだ。
将棋の分析を小説に持ってくる
脳内のベンチャー起業家との対話→分析
「情報の順番」が大切
小説は(ないしは文章は)、顔の見えない読者とのコミュニケーション
どう読まれるか(どう脳内にイメージが確立していくか)をイメージしながら小説家は言葉を選び、文章をつむぐ。
伏線という言葉が嫌い。
「伏線」という言葉が嫌いだ。その言葉を考えただけでムズムズして、全身を掻きむしりたくなる。なぜ嫌いなのかというと、たぶん作家によって定義が曖昧だからだ。
プロットを作らずに文章を書いている
小説家ではない人の「小説にできるアイデアがある」という発言
その1:専門性が高すぎる
その2:陳腐すぎる
→「一人の人間が机の上で頭を抱えて出すことのできるアイデアなど、面白い小説になりようがない」
じゃあ、どうするのか?
主題や設定から入ろうとしない。
「書いてみたいこと」「考えてみたいこと」
意味のある分析(質の高い分析)をする→「異世界転生が今はやっている」
アイデは生みだすものではなく、見つけるもの──すなわち「視力」である、と僕は考えている。
小説ゾンビ(自分の価値観を捨てる)
日常の出来事の中から「小説」を見つける→その後、自分がなぜそれに「小説」を感じたのかを分析する
『理系の読み方: ガチガチの理系出身作家が小説のことを本気で考えてみた』
著者は工学系の大学院にいた
小説家と学者では、テクストの厳密さについて意味や扱いがまるで違う
20歳頃まではそこまで教科書以外で本を読んでいなかった(なくてはならないものではなかった)
10代頃に読んでいた本の例
『バトル・ロワイヤル』『いま、会いにゆきます』『五体不満足』『だから、あなたも生きぬいて』
『罪と罰』(ただし、ドストエフスキーとトルストイの区別をつけるための読書)
一冊だけ特別な本があった『空想科学読本』シリーズ
大学院生になって、論文や専門書を読むように
熱力学、統計力学、流体力学→構造の学問(ひとつの全体を作り上げる各要素の関係性)
集まり方を決めるのがポテンシャル→「ポテンシャルという関数を調べることで特徴がつかめる」
例:構成原子すべての運動方程式をわざわざ解かなくても全体がわかる
たとえば小説を読むとなれば、一文一文の意味を厳密に読み取っていくというのは当然、基本的な読み方です。しかし一方で、小説を構成する各文がどのような関係性で結ばれているのかに着目することで浮かび上がる問題もあります。
→小説はどうして書けてしまうのか
あるいはどのようにして「小説」という現象が発生しているのか
この問題を解きたいからこそ、著者は小説を読み、書いている。
特定のジャンル作家にはなれていない→ガリヴァー旅行記
小説を「解く」
小説には謎がある
「解く」とは奇妙にこんがらがったものをスッキリさせるといったニュアンスを含む
「解く」行為で必要なのは、「問題」ではない。より本質的なのは「奇妙にこんがらがったもの」であり、ときどき「問題」というはっきりした形で提出されていることもある
だいたいのことは複雑なかたちでそこらへんに転がっていますが、ぼくらはふだんそれを特に注意深く見たりはしません。視界に入ってはいても、それを「問題」として認識することはあまりありません。
→[『「手に負えない」を編みなおす』
小説でもミステリなどの特殊な分野では謎=「問題」がはっきり提示されているが、そうでない作品では出題は行われない。ただし、明示されなくても、読みごたえのあるフィクションにはなんらかの形で異質と呼んで差し支えない複雑さが存在している。
しかし、ある状況を与え、そのなかで登場人物を動かしていくと、見たことのない奇妙なことが起こります。「小説を解く」とは、この奇妙なことを発見し、視野に収め、ピントを合わせ、解像度を高めていく行為です。言い換えると、「問題未満」だった物事を「問題化」するために想像力をついやす行為です。そしておもしろいことに、これは作品に対して作者からだけでなく読者からも働きかけることができ、その場合は特に「批評」と呼ばれたりします。
カフカの「変身」を題材に
著者がはじめて読んだときの感想→「分子シミュレーションみたい」
「強い非平衡状態から無数の衝突を経て平衡状態に遷移する」という緩和現象そのままに小説が進行している、と見る
分析の流れ
系の設定
蓋は閉じている?(閉じた系、開いた系)
箱の中身は落ち着いている?(平衡、非平衡)
箱の中身は変化する?(定常、非定常)
こんな風に考えているのが著者なりの読み筋
「小説を解く」とは、読書感想文の書き方のようなものだが、得られた解の唯一性を主張することではない
注目しているのは「わたしはなぜこう読んだか」の「なぜ」の部分で、たぶんここはみんな違っているほどおもしろい。おもしろい部分だからこそ、ここがクリアに見える読み方を習得できれば、より読書が楽しくなるのではないでしょうか?
書きたいこと問題
小説を書いてみたいけども、「書きたいことがない」
ぼくはこれがわりと不思議で、ぼくなんかは「書きたいこと」なんて特にないタイプの書き手です。世間に対して主張したいことなんてないし、現代社会のひとつのモデルを提示してやろうとも思わない。だけど、「こういう形式の小説を書いてみたい」みたいなものはたくさんあって、物語のなかで現れる「意味」のほとんどは書きながら見つけたもので、事前に用意していた「主張」ではありません。