ブックカタリストBC123用メモ
取り上げる本
『「書くこと」の哲学 ことばの再履修 (講談社現代新書 2777)』
講談社:2025/6/19
著者:佐々木敦
佐々木敦 - Wikipedia
日本の映画評論家・音楽評論家・文芸評論家・時事評論家、小説家。雑誌編集者。
「ことばを書く/ことばで書く」を問い直す
「書くこと」について従来とは異なる観点からあれこれ考え(直し)てみることを提案する
大きな構成
第一部理論編
第一部 「書けなさ」から脱出するためのマインドセット/マインドハック
「ことば」という道具にかんして、あり方・使用法を理論的に考える
言語表現とは何か?
私たちは言葉を用いてなにをしているのか
ことばには何ができるのか(なにができないのか)
第二部実践編
第二部 書き終えるまで
書きだす前の準備・書き出し、書き継ぎ、書き終わりなどのワークフローの各段階を検討する
この本は、どんな本ではないのか?
「書くこと」のレッスン、書けるようになるためのメソッドやテクニックを指南する本ではない
上手な文章、伝わる文章を教える本とも違う
→書くためのマインドセットの再構築
書きたいのに書けない、書かなければならないのに筆が進まない、書いていてもつまらない、書いたけどダメな気がしてしまう、などなど、誰もが陥りがちな(私もたびたび陥ってきた)困った事態から抜け出すためには、たとえばこんな風に考えてみてはどうですか、というさまざまなアイデアを提示する、書く技術よりも前に、書ける状態に自分を変成させるための思考を伝授する、だからマインドセットなのです。
→書くためのマインドハック
第一講 日本語を「外国語」として学びなおすこと
「ことばの再履修」
いつのまにか、当たり前に使えている"ことば"というもの
著者の自問「自分がこれまでやってきたこと、今もしていることは結局のところなんだろうか?」
「言葉」で何かをする
わたしは物書きである。いわば言葉のプロだ、などとは口が裂けても言いたくない。確かに三十年以上、言葉で飯を食ってきたが、むしろプロフェッショナリズムには決然と背を向けてやってきた。わたしにとって物書きとは職業ではなく属性である。シンプルに言えば、他者の言葉を読むことに尽きせぬ魅力を感じ、自分の言葉を書くことにさまざまなよろこびを見出してきた/いるからこそ、自分は今も物書きをやっているのだ。
→言語表現の可能性
言葉は道具。でも、それだけか?
ことばは道具です。でも、ただの道具ではない。道具であるだけでもありません。ことばにはもっと多くの意味と意義、機能や価値、可能性があります。
言葉はコミュニケーションためだけのものではない。芸術的な側面や文化としての次元がある
言葉が先行することもある→『勉強の哲学』
文章は技術もあるが、それだけではない。
「上手い文章」や「良い文章」がひと通りしかなかったら、世の中の文章はぜんぶ同じになってしまいます。
ことばの使い方を学ぶこと、書くことを学ぶこと、言語表現を学ぶことの目的
究極的には、自分が自分だからこそ書けることば、ある意味では自分にしか書けない文章を書けるようになることだと思います。
個性や魅力とも呼べるが、著者はそれを必然性と呼ぶ
書かれる必然性のあることば、この世界に生まれ出る必然性を持った、自分のことばを紡ぐこと
日本語も外国語のように(母国語←→外国語)
「自分のことば」を「他人の目線」で読む
自分の文章のクセがわかる、といったことが起こる
物書きの人はたぶん日常的にやっているのではないか?
倉下が提示するなら「辞書を引く」
第二講 「ことばにできないもの」はどこにあるのか?
よくある悩み
「書けなさ」→ことばにできない
「書きたいこと」
ことば未満と、ことばの芽
一方通行にしない
書けなさの原因が、自分自身にある場合と対象にある場合があるとして
「語りえぬもの」を「書けなさ」に短絡しない
「語りえる」「語りえぬ」の二者択一に陥らないように注意する
とにかく書いてみる、語ってみる
"書けなさ"を書くこともはできる
書けなさがエンジンになることもある
第三講 書いてはならない?
高橋源一郎の「書けなさ」
書けないことだから書きたい
書きたくないのに書きたいこと
第四講 上手な文章、下手な文章
「上手な文章」の上手さとは何か?
さまざまな名文の、さまざまな文体→人それぞれの評価
文章の伝達と表現(言語使用の二大機能)
伝達が重視されている
伝わりやすさ・わかりやすさ→上手な文であるという風潮
では冗長な文章、ノイズの多い文章、長ったらしい文章にはまったく価値がないのか?
好みの問題ではない次元で
p.61 文章の魅力について
表現の次元を限りなくゼロに近づけることがよしとされるような場合(魅力や面白みが不要な場合)を除けば、やり方次第で冗長性やノイズは自分の文章の武器になりえるし、それは必ずしも文学や文芸といったジャンルに限ったことではありません。
ユニークネスの獲得
短文を重視するような「短い上手い文章」は練習すれば誰でもはある程度書けるようになる
結果、そこそこの「上手さ」の文章が濫立している
どうやって差異化するのか?
個性の種は皆が持っている。それを育む
「短くてわかりやすくすればよい」という常識からいったん距離を置いてみる
悪文は癖になる
第五講 ことばの多様性
「多様性」という言葉
生物多様性→言葉にも多様性がある
マジックワードとしての「多様性」
その言葉をただ使っておけばいい(内実は問わない)という姿勢
世界はもともと多様
さまざまな事象における「多様性」を、実現すべき、獲得されるべき理想として、そこに向かっていく努力は望ましいことです。しかし、世界はそもそも多様なのです。世界は無数のばらばらなもので溢れている。まず、その世界の真実、いや、端的な事実を認めること。そして、一足飛びに「多様性」に飛びつくよりも、自分のすぐそばにある/いる、他なるもの、異なるものの存在に気づき、出会い、受け入れ、相手のことを考え(始め)ること、そうしたひとつひとつの「他者との遭遇」の向こうに少しずつほの見えてくる光景、それが「多様性」なのだと思います。
言葉も同様
言葉はそもそも多様。世界は無数のばらばらな言葉で溢れている
まずその端的な事実を認める
借り物やお仕着せではなく、自分の内と外に溢れている「ことば」の複雑で豊かなありさまに向き合ってみる
自分の言葉の固有性を認識することがスタート
偏差や傾向をマイナスのものとして捉える前に、どうして自分はそういう言葉遣いをするのかを考えてみる
→自分の言葉のクセを見る、悪癖としてではなく「個性」と呼ぶべき何かが見え隠れしているのではないかと疑ってみる
自分が「しっくりくる」文章の特徴を確認する→自分の文章の志向性を確認する
クセは身体性と関わっている
開き直るのではなく、スタート地点を確認する
二つの段階
自分の文章のクセをある程度客観的に把握するプロセス
個性へと転化できないか検討してみる
自分の「ことば」をより複数化・多数化・多様化していくプロセス
「他人のことば」をよむこと、できるだけたくさん読むこと
第六講 ロジックとレトリック
二つは自ずからあるもので、それを生育させていく
別々のものだが結びついてもいる(相)
ロジックとは
広い意味でのロジック
一連の言葉(ひとつの文を成す語や詞の配列のことでも複数の文の連結のことでも基本的に同じです)の連なりや繋がりや重なり、つまりことばの組み立てが、何らかのレベルでトータルな意味や主張や内容、つじつまや結構、広くて緩い意味でロジカルと呼べるような作用を読者に対して成立させるということです
何が書いてあるのか「わかる」、読み取れる、文意が理解できる、ということ
理路整然だけを意味しない→『論理的思考とは何か (岩波新書)』
生成するもの→発見されるもの
現象的なもの(倉下で言えば文脈)
出会い方で生まれる→語順で変わる
エフェクトが違う
「私は犬を好きだ」「犬を私は好きだ」
全体として立ち上がってくるもの
rashita.iconlogicとlogos
レトリックとは
文章における(上手い)言い回し
レトリックはすでに飽和している→ひとまず学ぶ
無心に読むのではなく、言葉の模様を観察する
違和感をもたらす
第七講 話し言葉と書き言葉
第八講 反射神経について
脊髄反射で反応する
Twitterでの訓練
いきなり文章の書き出しを考えてみる
第九講 スローライティング
写真と俳句
二種類のスローリーディング
理解・はあくのためと、文章そのものを味わうため
ゆっくり書く
速読法と速書法
行きつ戻りつの運動。それを意識化する。
第十講 ことばと思考
書くことは「作業」ではない
書いたことを読み、そこから書くことのフィードバック回路が回っている
作品が書き手を超える
思考がそのまま文章になるなら、生成AIと同じになる→人間は試行錯誤しながら書く
書くことによって考える
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