文章の構造に対する歴史の観察
文章は、プログラミングではStringといいますが、まさにひものように直列構造をしています。日本の古文などでは、読点「。」もありませんでした。いまでも会話をするときは、特に読点は意識しません。
読点が登場したことで、この直列構造に対して、「文」という意識が加わったと思います。文は「。」が来るたびに終わるというルールになりました。
さらに「見出し」や「段落」が登場するとさらに文章は構造化されていくことになりました。文が分かれるというX軸に加えて、Y軸も加わるようになったと考えられます。
Scrapboxは、このX軸とY軸を矢印キーで移動できるUIを持っています。
このようなメディアでは、読点がまた消滅していくかもしれません。 プログラミングでも行の最後の ; は省略される流れですしね
同じ言葉なのに、会話するときと、こうしてディスプレイに表示するときでは構造化のされ方が異なるのは面白い点だと思います。
まだまだ発展の余地があると思います。
プログラミング言語が人間の言語に与える影響は、特に興味があります。
Scrapboxも、↑で述べた「再利用性」や「矢印キーで構造の移動」などで影響を受けていると思います。