正反合
この項目は、JI1BXM.icon が叩き台を書いてみます。なお、私は哲学者ではありませんので、突っ込みどころは満載であると思いますが・・・。m(_ _)m 「正反合」は弁証法を構成する要素である3種類の命題のことであって、命題とは「〜は、〜である。」という主語/述語を伴う主張と解釈すればよいと思います。 【目次】
【1】高校の教科書における正反合の説明
【2】 JI1BXM.iconがする、正反合図形化の試み
【本文】
【1】高校の教科書における正反合の説明
弁証法における正反合の説明については、高校の「倫理」科目の教科書に説明を委ねてみます。ここは眺めるだけでOKです。
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「もういちど読む 山川倫理」(小寺聡編 山川出版)p121.によれば、弁証法の説明で以下のように書かれています。
ヘーゲルは「全体性が真理である」と述べ、理性は個々のものごとを、生成・発展する全体の心理の一要素としてとらえ、全体的な心理があらわれる道筋を認識するものだと説いた。
歴史を動かす絶対精神は、弁証法という論理に従って自己を展開していく。弁証法とは、本来は対話法・問答法を意味するが、ヘーゲルはあるものが生まれ(正)、他のものと対立し(反)、二つの対立と矛盾が原動力となって、それらがより高い次元のものに統合される動き(合)を通して、真理が明らかになる生成と発展の論理であるとした。
その上で、以下のように敷衍して説明しています。
ある立場が肯定され(正)、それを否定する立場があらわれ(反)、両者の矛盾と対立の中からそれらを統一し、より高い次元の立場があらわれる(合)。哲学は弁証法の論理に従って、個々のものごとが対立と統一を繰り返すことを通じて、全体的な真理が生成・発展する歩みを認識する。
山川の教科書では、弁証法の一般論から更に進んで「精神の成長」の道筋を、以下のようにたどっています。
弁証法の論理にそえば「精神の成長」とは、「自分と他者の考えが対立し、分裂し、ふたたび全体的な考えの中へと統合されるという」こと。
【正の段階】
人間は、最初は自己中心的なものの見方や考え方しかできない。自分の見方とは違った立場に気づかず、自分の立場から自己中心的にしかものごとをみることができない。このような「私の視点」が、第一の正の段階である。この段階は自分自身の考えの中に無自覚のままにあるので、即自と呼ばれる。( 即自はドイツ語ではansichと言います。JI1BXM.iconのtwitterアカウント"chacha_ansich"はこれをパクりました。とはいえ、ドイツ語はさっぱり解りません。^O^))
【反の段階】
そこに、自分とは異なった他者の考えが対立し、自分とは違った他にの見方や考え方があることに気づくようになる。そこでは、他人の意見を素直に認めれば、自分の意見がとおらず、かといって、他人を無視して自分の意見だけに固執すれば、他人と共存できないという矛盾と対立が起こる。このような対立の中で、私たちはそれしかないと思っていた自分の考え方が、実は相対的で狭く限られたものであることを知る。こうして、自分の考え方の限界に気づかされ、自己中心的なものの見方の絶対性が否定される。このような「他人の視点」が、第二の反の段階である。
ヘーゲルは自他が対立する反の段階に積極的な意義があると考えた。他者との対立を通じて、他者でないものとしての自己が明らかになり、他者でないものという形で、自己が自己に対して自覚的になる。そのような意味で、反の段階は対自とも呼ばれる。( 対自はドイツ語ではfürsichと言います。JI1BXM.iconのtwitter裏アカウント"chacha_fürsich"はこれをパクりました。^O^))
【合の段階】
最後に自分と他人の立場をつき合せ、対立を否定するとともに、両者をともに活かして総合し、より全体的な立場へと自分を高める止揚(アウフヘーベン Aufheben)が行われる。このように自分のものではあっても、他者の意見や立場を取り入れ、より広い視野から全体的に、普遍的にものごとをみることができる「われわれの視点」が第三の合の段階である。
精神は弁証法の論理にそって、他者と対立してみずからの限界を知り、それを乗り越えて、より高い立場へと達して真の自己を回復する。自己を否定する他者に出会い、その否定するものを更に否定することによって、他者でないものという自覚をもって精神は自己自身に立ち返る。この段階は、精神が自分自身のうちにありながら、自分に対して自覚的になっているので、即自かつ対自とも呼ばれる。
弁証法は精神が他者との対立を通して、本来の自己自身へと自覚的に立ち返る運動の論理である。
このように精神が他者との対立を通して、「われわれ」の全体的な立場に到達するという経験を積み重ねることによって、精神の自由が実現する。すべての人の自由は、私たちが自己中心的な狭さを抜け出して、社会的な視野をそなえた、広い「われわれ」のものの見方ができる精神へと成長していくことによって実現する。
ヘーゲルは、このように自由を単なる個人の恣意(わがまま)をこえて、歴史や社会をとおして弁証法的に発展してく精神の働きの中にとらえた。
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【2】 JI1BXM.iconがする、「正反合」図形化の試み
山川の教科書において指摘されていたことを単純に要約すると、こんな感じだと思います。
ある自分の主張がある。
自分の主張に対立する主張がある。
両者は相容れないが、いずれにも合理性がある。
ならばこれらを統合して(受け入れるところは受け入れ、棄てるところは捨てて)次元を上昇させよう!
我々理系人が使い易いように、かつ理解できるように、これをイメージ化してみます。
弁証法は「割り箸を一つの軸上で衝突させ、この軸上で一定内の長さに収めろ。」という課題に似ています。
これを解決するには、衝突する端をその軸上から外せばよいということです。
https://scrapbox.io/files/641d29e7877766001b23932e.mp4
これを図式化するとこんな感じです。
https://scrapbox.io/files/641d2b1aab66c8001c513f3b.jpg
これでは所定の長さに収まらないので、先端をずらします。つまり、別の次元を追加したわけです。下図の赤色矢印の部分です。
https://scrapbox.io/files/641d2c9c8023c0001b622496.jpg
こうしてみると、別の次元というのは無限にあることがわかります。世の中の解決策はひとつではないというのを図形的に把握できました。
https://scrapbox.io/files/641d2d9870c1a0001dc18662.jpg
更に図形化を進めます。この割り箸を矢印に置き換えて描いてみます。また、対立する事柄はひとつとは限りませんので、複数個を用意します。こうすると、左側矢印が「正」、右側矢印が「反」ということになります。
https://scrapbox.io/files/641d2e4f8cfc3a001cd4bc71.jpg
次に「合」の表現ですが、このように描けば図式化できます。
https://scrapbox.io/files/641d2f18abc1ca001beae637.jpg
つまり、下向きの矢印がAufhebenという「運動」なわけです。
以上のようにして、正反合を理系が得意な図形的表現に持ち込めました。
具体的な使い方についてはそのうち追記しまぁす。