「仕事」の反対が「遊び」なのではない
今年(2018年)の夏は、とても暑く大変でしたが、仕事も遊びも充実していました。私は今、「仕事も遊びも」と、「仕事」と「遊び」を、対比する様に書きましたが、「仕事」の反対が「遊び」なのでしょうか。よく考えると「遊び」って何でしょうか。ロジェ・カイヨワの「遊びと人間」を読みました。何となく実感していた、「遊び」の重要性を、読み進めていくにつれて、再認識させられました。
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遊びについて、フランスの社会学者、ロジェ・カイヨワが書いた、なぜ人間は遊ぶのか、遊びの本質を追究した哲学書です。ただ文体が古い(1958年)からなのか、とても読むのが辛い本でした。
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遊びという言葉がつねに、くつろぎ、リスク、巧妙といった観念をよびおこすことである。
とりわけ、それはかならず、休息あるいは楽しみの雰囲気を伴う。それは、憩わせ、楽しませる。
現実生活における真面目と反対であり(中略)、それは労働とも反対であり、活用された時間ではなく無駄な時間と見なされる。
ロジェ・カイヨワ『遊びと人間』講談社学術文庫 1990
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「遊び」は不真面目なものではなく、「遊び」は働かないことでもない、また「遊んでいる時間」は、無駄な時間ではなく、必要な時間であること。
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人間の全ての活動は、実は「遊び」から、発しているようです。子どもの頃の遊びは、その後、大人となって社会へと出た時に、立ち向かうことになる苦難と、対峙する時にも役立つそうです。
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たしかに、遊びは勝とうという意欲を前提にしている。禁止行為を守りつつ、自己の持てる力を最大限に発揮しようとするものだ。
しかし、もっとも大事なことは、礼儀において敵に立ちまさり、原則として敵を信頼し、敵意なしに敵と戦うことである。
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さらにまた、思いがけない敗北、不運、宿命といったものをあらかじめ覚悟し、怒ったり自棄(やけ)になったりせずに、敗北を甘受することである。
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遊びによって人は、こうした自己抑制の教訓に耳を傾けるようになる。
人間関係、人生の浮沈ぜんたいまで、この教訓を生かそうとするようになる。
ロジェ・カイヨワ『遊びと人間』講談社学術文庫 1990
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私の場合、日々の住まいづくりの仕事、人間関係、人生の生き方まで、「遊び」を意図的に組み込むと、いいことがありそうです。今からでもまだ、間に合いそうです。
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カイヨワは、遊びを4つの要素に分類しています。どの遊びも、このいずれか、あるいは複数に当てはまるというのです。