分裂病者と執着気質者
「分裂病親和者」と「執着気質的倫理」の二つの人間類型
1. 分裂病者
狩猟社会で顕著に見られる
競争よりも、獲物を分け合う社会
狩猟採集社会とは「過度の厳密さの追求」のない社会であり、それは不必要な富の追求のない社会であることを意味します。
「微分的認知」を持つ
わずかな危機を察知して傾向を予測する
世界に対して予測 / 把握する
持続性がない(頭打ちが早い)
狩猟社会では、その場で危機に対処して、獲物をしとめられれば問題ない
現代社会では、認知(予測)能力を常に持続しなければいけない
富、権力、競争などがあるため
その持続要求とかみ合わないとき「分裂病」「統合失調症」とされる
「過度の厳密さの追求」というのは、予測という能力を持続的に求めることですが、元々不確実さの中で危機の時にのみ働く能力を持続的に求めようとすることで、逆に世界を正確に把握する能力が失われることになります。
このことは、おそらく「分裂病」という呼び名は適切ではなく、むしろ「統合」を過度に追求する時にその病気は起こるという精神科医たちの主張と対応しています。つまり分裂病者とは、普通の人以上に世界を統一的に把握する性向が強い人のことを言うからです。
2. 執着気質者
農耕社会でもてはやされる
持続的な計算と予測能力を備える
与えられた尺度の範囲で生産ができる
農耕の尺度=価値観と社会の規範に基づく
彼らには分裂病者のように世界の動きを一挙に把握する能力はありません。その代わりに、与えられた尺度を用い、自身が動ける範囲で生産を計算していきます。これは与えられた尺度・価値観・社会の規範への過度の依存ですが、この依存により執着気質者は農耕社会において「自立した人間」として社会的に認知されます。尺度は社会から与えられたものですが、その尺度に則って行く能力により身を立てることで、彼はアイデンティティを確立します。
執着気質者には、自ら新しい社会を構築する能力・一から新しいものをデザインするような意欲をもちません。むしろ既存の社会の尺度に物事を合わせていきます。
与えられた尺度(価値観、規範)を扱う影響
尺度によって予測 / 設定可能になる
農耕においては、尺度によって自然を押さえつける
自然(=神)を押さえつける
罪悪感から信仰が生まれる
つまり彼にとって行動の原動力となるのは、社会から与えられた規範であり、彼らはその規範から外れた物事を規範に合わせることで安心を得ようとします。このような規範を確立したものとして提示できるのは、決められた生産高が設定可能な農耕社会以後の社会であり、つねに自然の変動に左右される狩猟採集社会ではありません。狩猟採集社会とは完全には予測できない社会の動きから一片の徴候だけを頼りに行動する社会ですが、農耕社会は以前では予測できなかった自然を「暴力的」に自らの力で押さえつけようとする努力です。それにより人類は、自然に依存しない自立した存在と成り上がることになります。
農耕社会とは、自然という神を人間自身の腕で押さえつけようとする動きです。そのとき初めて人類は、自立した存在となると共に、自らが自然の主を追放したという罪悪感を抱え込むことになりました。この罪悪感が、自らの行為を赦そうとする浄化の儀式へとつながり、神への信仰・宗教の発生へとつながります。中井さんは、狩猟社会では一般的に宗教が見られないことを指摘します。
既存の尺度に依存=農耕の生産高の計算
新しい尺度も作らない
新しい尺度を作る余裕がない
自然を押さえつけた世界で生きる必要があるため
自然を押さえつけた罪悪感を引きずっているため
既存の尺度を信仰し続ける必要があるため
発想する余裕がない
発想する能力が失われている
執着気質者は、自然・神への罪悪感と自立意識を有し、それゆえ自ら自由に発想する余裕を持たず、ひたすら既存の尺度に合わせた行動を取ります。彼らは自身の罪悪感を否認することに躍起になり、それゆえひたすら攻撃的に尺度・規範に合わせて行動することで罪悪感を忘却しようとします。自然への依存を放棄したのですが、それに罪責の念を持つため、自ら新しい尺度を作る余裕を持ちません。それゆえ彼らは本当には自立せず、何かに依存しなければなりません。その新しい依存の対象が農耕において特徴的な生産高の計算であり、そこには意味が消失した「計算可能性」が追求されることになります。
各々が描く絵はどちらの性質が強いか
単純に二分できるものでもない
わざわざ絵を描くこと自体が複雑
「生産(せいさん)」は、(特に近代の)機械よりも先に、大昔の農耕から行われていた 1 生活に必要な物資などをつくりだすこと。「米を—する」「大量—」
2 人間が自然に働きかけ、財・サービスをつくりだし、または採取・育成する活動。
「生産(しょうさん:子を産む)」は今回の話題とニュアンスが異なる
「描く=生産(せいさん)」だったとき
今でも人力偏重 / 礼賛とする意義はどれだけ残っている / いたのか
現に農業機械を最大限活用した食料が流通している
「人間が描いた絵」という言い回しに特有の意味が生まれている以上、避けられない話題